冬場の森、木々はすっかり葉を落とし、春の成長期(細胞分裂が盛んになる)時に備えて、うんと体内にエネルギーを蓄えているように見える。そんな空気を感じなら冬の森を歩いていると、森の散歩もとても楽しい。
葉が落ちた森では、小枝に留まっている野鳥たちが、素通しでよく見える。
ぼくは20年近く前から老眼・遠視と親密なともだちになってしまったので、相当遠くの鳥がよく見えるようになった。木枝の鳥たちの囀りや羽音に思わず目が行きフォーカスが会う。(デジカメのオートフォーカスより我が目のオートフォーカスのほうがよほどすばらしい)
毎月何度か京都府立植物園にふらっと行く。(この植物園は60歳過ぎると無料です)冬の植物園は、自然の花ほとんどなく、落葉樹は葉っぱをみんな落としている。野鳥が枯れた小枝に来ているのがいっぱい見えて、この時期植物園は、さながら鳥類園または野鳥園だ。(こういう植物園の楽しみ方も、もっとアピールしてはいいのでは)
からす(今や野鳥の帝王)・ひよどり。・しじゅうがら・むくどり・じょうびたき・るりびたき・あとり・いかる・・・・
この季節は、そこいらじゅうで草木の実は真っ赤に熟している。
なんてん・せんりょう・まんりょう・もちのき・たまみずき・さんしゅゆ・・・・・(実はこれくらいしか知らない)
冬にこの近くの街や里山で暮らす鳥たちは赤く熟した草木の実を冬の食料にしているのだろう。その鳥たちは、その熟した果実を啄ばみ、体内で種を消化しないで、糞と一緒に種を地面に落とす。じつはきのうの朝、大量に群れなしている、高い枝にとまっている、イカルに紫色の糞をかけられた。これは肥料と一緒に種をまく農法だ。鳥たちはしっかり農耕をしている。
人間の食料確保術より、ずうっと合理的にみえる。(ぼく自身の来るべき食糧危機への対応ほとんど何もできていない)。去年の暮れ、新聞で食糧危機の切迫した状況の到来時期が予想されていたが、それこそ「想定外」の早い時期に、突然明日食べる食料が突然目の前から消える事態になる予感がする。取り越し苦労ならいいが、心配性のぼくだから・・・って歌詞がある童謡があったなぁ。
冬の森をこんな「観照」をしながら、散歩するのは楽しくもあるのだが、惑わししくもある。