毎年いまごろの時期になると、
このうたを思い出す。
今朝、この冬初めて雪が積もった。北陸や北日本、九州でさえ大雪のニュースが続いていたのに、京都では積もるほどの雪が降らなかった。
きのうお客さまの家で沖縄の古酒(くーす)をご馳走になり、酔っ払って家に着いたもので早めに布団に入った。ぐっすり寝込み目が覚めたら雪が降り積もっていた。積り加減からからみると、未明あたりから降り出したようだ。
20歳代のころ、3年ほど滋賀県の彦根にいたことがある。滋賀県は湖東でも安土のあたりから北に行くと急に行の多い地域になる。ぼくがいた3年間の冬も雪が多く、毎日毎日降る雪にウンザリしたものだ。第一足廻りが悪くなるので、動きにくい。住んでいた下宿は古い家屋で気密性が悪く、寒かった。もっと雪の多い地方なら、動くどころか、雪下ろしや雪かきという仕事が加わるに違いない。それに比べると、京都の雪は雅で美しい。雪景色を楽しんでいられる。
雪が積もっていても、臘梅のそばを通ると、雪風に乗っていい香りがただよってきて、思わず花のほうに近づきたくなる。
そういえば、きのう読み終えた杉本秀太郎の「半日半夜」という随筆集のなかの「香木」をいうタイトルで次のような文章があった。
「鼻が利くと警戒心も強くなりがち。人を嗅ぎ分け、危うきには近寄らず、逃げ足早く遠ざかる。その代わりいい匂いの藻を身につけている相手には忽ち好意を抱く。とすれば、警戒も無警戒も同じ習性に帰する。
市中は物のにほひや夏の月 凡兆
あつしあつしと門々の声 芭蕉 」
話が急に変わってしまったが、杉本秀太郎という人の文章はとても面白い。本職はフランス文学の先生らしいが、平家物語や徒然草などに関する著作がある。フランス文学の素養と、日本文化に対する造詣の深さが、うまく融合している。