気分が落ち込んだり、むしゃくしゃして、心の落としどころが見つからないとき、無性に琵琶湖を眺めに行きたくなる。琵琶湖を見たくなって、急に思い立って行くのが、大津市の和邇浜。和邇浜には水泳場と小さな漁港がある以外、とくに何もない。水泳場もずいぶん素朴なものだし、漁港も小さな漁船が数隻繋留されているだけのシンプルなものだ。
実のところ、この何もなさがとても気に入っている。しかもJRの駅から10分足らずで湖岸に着くので、車を持たなくなったぼくにはありがたい。
いまの季節、風はまだ冷たいけれど、水の色も空の色も春めいて、日差しも少しづつ明度を増してくる。冬の水鳥がまだ逗留中で、静かな季節の風景にうまく溶け込んだアニメーションが見られる。今年は初めてスズガモという鳥を見た。最初は名前を知らなかったのだけれど、写真に撮って帰って、自宅の鳥類図鑑で調べて名前を知った。珍しい鳥ではないと思うが京都市内ではあまりお目にかからない。
和邇から琵琶湖を隔てた対岸には、近江八幡の長命寺の山、彦根の荒神山、それに琵琶湖でた唯一人の住む島、沖ノ島が望める。そして、そのはるか向こうに雪を頂いた、伊吹山、霊仙山、御池岳などの鈴鹿の山々が連って見える。振り返って西側を見ると、こちらも雪を頂いた比良の山並みが迫っている。
この季節の西風が冷たく強くときは湖の遥か北をゆっくりと雪のベールが西から東へ移動して行く。
JRを降りてまっすぐ東へ湖岸に歩くと、そこが和邇中浜。和邇浜は小さな川を境にして、北浜、中浜、南浜に分かれている。全長で2km足らずの砂浜を往復する間にも、刻々と水の色空の色が変わっていく。心が溶き解れてくる。
ところで、和邇という地名は、古代豪族のひとつ和邇氏(漢字の表記はいろいろあるらしい)の一派が、大和からこの地に移って定住したことに始まるとつたえられている。そういえば中浜で「和迩」という表札のかかった家を見たことがある。古代神話に因幡の白兎の話があり、その中に鰐が出てくるが(鮫のことらしいが)、和邇と鰐は何か関係があるだろうか。
この和邇の南隣に小野という地名がある。こちらも和邇氏から派生した豪族、小野氏がいたところだということだ。大きな新興住宅地に隣り合わせて、じつは本物かどうかあやしいけれど小野妹子の墓というのがある。小野道風を祀った神社もある。
そういえば、もうひとつ。『古事記』に、「其の謂はゆる黄泉比良坂(よもつひらさか)は、・・・・」という下りがある。イザナミを追うイザナギが辿った道終点、黄泉の国と現世を隔てる壁となる坂のことだと解釈しているのけれど、この比良坂とこの地の山々の名称「比良」と何か関係あるだろうか。和邇浜から比良の山々を見上げると、何かからこちらを隔てる壁のように見えてならない。