「どこからか、葱の香りがひとすぢ流れてゐた。
三椏の花が咲き,小屋の水車が大きく廻ってゐた。」
三椏の花が咲き,小屋の水車が大きく廻ってゐた。」
『村』 三好達治
今年は桜が遅く、寒い春のスタートだけれど、三椏(みつまた)の花もいつもより遅いのだろうか。去年の正確な記憶がない。去年も一昨年も撮っているはずの三椏の写真がどうもみつからない。ただ桜に先駆けて三椏が先に見頃になった。
知人から三椏の花が描写に出てくる三好達治の詩があるが、どの詩だったか思い出せないと、先日、あるちょっとした会話のやりとりの中に出てきた。
調べてみたら、初期詩集『測量船』のなかにある、『村』という題のしてあることが分かった。実は『村』という題の詩が、この詩集の中にふたつあって、詩集のなかほどで『村』『春』『村』というぐあいに続いている。ふたつの『村』はひとつのストーリーであり、野生の鹿がとらえられ、小屋にいれられ死ぬというストーリだ。そのなかほどに、『春』という短い、ほんの四行ほどの詩が配置されている、まるで音楽のインテルメッツォのように。
詩集というのは、音楽でいう組曲である。その中の一曲に間奏曲が入っているのである。その間奏曲がどんな風な役割をしているか、今のぼくにはわからないのだけれど、上にあげた、後の『村』の最後の二行で、教えてくれた知人がいうように、非常に印象に残る。
著作権の関係で(まだ三好達治の作品は著作権が切れていないはず)二行のみの引用にとめさせてもらうが、ウェブ上では全文のせているサイトもある。罰や罰金は、そのサイトの管理人に被ってもらうことにする。読んでみたいと思われる向きには下記のサイトか
図書館などをご利用になられるとよい。
ただ、先の『村』はたいてい掲載されているが、肝心の後の『村』が入っていないのがある。編者の意図とセンスを計りかねる。実はこの詩をさがすときに、こういう編集の詩集に出会い、少なからず混乱したのだ。
三椏は京都では疏水支流沿い(とくに鹿ケ谷)にあちこちで見られる。二月に湖東三山の百済寺にも多く植えられていた。お寺にたくさん植えられているのは、書きもの(写経も含めて)のための和紙の原料に必要なのだが、疏水沿いにあるのはなぜだろう。殖産のため計画的に植えられたと書いているブログを一つみつけた。
三菱自動車が発行している【FUSO】という社内誌の378号に「(三椏でつくった)その紙は、とくにシワになりにくく虫もつかないので、紙幣や証券、地図など、重要な書類に使われていた。明治15年(1882)ごろから紙」幣への利用が増え、栽培が盛んになった。」
と書かれている。あるいは関係あるかも知れないが、確かなことを知りうる資料にはまだ出会えていない。調べる根気が足りないかな?
三椏の花三三が九三三が九 稲畑汀子