願わくは花の下にて春死なむ
そのきさらぎの 望月のころ
いい歌ですね。
きょうは西行忌。 満月と釈迦の入滅には一日遅れはしたが、こんなにうまく、自分の歌の通りに死ねるものかと思うが、これも人徳かな。
その西行、もとは鳥羽院の北面の武士、佐藤義清(のりきよ)。23歳のとき妻子を捨て出家。末世に対する無常観からとか待賢門院との失恋が原因だとかいわれている。
北面の武士のころは清盛と同僚であったという憶測もある。頼朝には出会った記録があるが、義経とはない。義経を嫌っていたのではないかという御仁もおられる。どちらにせよ大変な時代を生き抜いたといえる。
歌人として後世に残したものは多く。江戸元禄時代芭蕉も影響を受けているということだが、ここらは専門家、批評家のお話を読むなり、聞くなりしてください。
洛西の花の寺には「西行桜」というものがあると聞くが、まだ見たことはない。能にも「西行桜」なる演目がある。花の歌の多い人である。
(写真は京都北白川にある古い木造の「銀月アパート」の桜です。