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2011年5月1日日曜日

花だより から 薫風

 桜の季節が過ぎて、新緑が鮮やかで、自然はいつも通り、少しこのところ天候が怪しいですが。
わたしは主にバス、時々は電車で移動してゐますが、今年も京都市内は他府県ナンバーの車でいっぱい。(やはり国内の人は自家用車を使うんですね。それでも、例年より少ない感じです。)
バスが渋滞で遅れるので、わーっこれは乗客でいっぱいかなと思って待っていると、ずいぶん空いてゐる。ギュウギュウ詰めどころかゆっくり座れるのです。

そういえば桜の季節の少し前から、バスに乗っているアジアからの観光客が少なくなった。少なくなったどころか無いに近い。それまでは、バスの中で話している会話を小耳に聞いて、「あ、これは中国から来た人たちやな、韓国から来た人やな」というのがわかる乗客が必ず居た。

こんな状況を風評被害という便利な言葉で繕っているけれど、原発に関していえば、行政(保安院や委員会)や為政者の不手際 無作為(彼らは隠蔽している)に対する批判ああるいは抗議では・・・

わたしは団塊の世代で「戦争を知らない爺」で、平和な時期を人生を送ってきて本当にありがたいと思っていたのですが、国や役所や会社の「操縦を任されて」いる人たちの中心はほぼその世代で、その動きはを見ていると、ずいぶん情けない思いをしています。

それやったら、おまえ何かできるのかといわれたら、それはそれは口を噤むしかできないのですが。