3月9日に少し書き直しました。
先月の最後の週末、出身中学校の三年生クラス会に出かけた。ぼくの出身は滋賀の信楽で、小学、中学、高校のはじめまで、信楽で暮らした。いまも母親の実家があったり、妹が嫁いでもいるのでまったく無縁というわけではないのだけれど、数年前に車に乗るのを止めてからすっかりご無沙汰になってしまった。
信楽に玉桂寺という弘法大師と縁のあるお寺がある。そのお寺で湧き出る水は、柔らかでほんのり甘い名水なのだけれど、車に乗っていたころには月に一度くらいはその名水を汲みがてら信楽を訪れていた。車に乗るのをやめてしまったの、すっかりご無沙汰になってしまった。いまの日本は、都市部から少し離れただけで、公共交通手段が不便で料金も高く(特にJRは私鉄が競合しない地域に入ると急に運賃が跳ね上がる)、車がないと足が確保しにくくなる。ご他聞に漏れず信楽もだ。足が遠のいてしまったのは、それがやはり大きな理由であるように思う。
京都市内から逢坂の関を越えると、ほとんど同時といっていいくらいに空気が清澄になり、静謐で寡黙になる。さらに信楽まで辿り着くと、空の色がまるで違ってくる、透き通って青空の色が深くなるのだ。
歳をとってきたからかな?都会の喧騒の中(京都にいても思う)に居るより、静かでホッとできる、心洗われる場所に好んで居たい気持ちになる。久しぶりの信楽だけれど、今回はとくにタイヘンタイヘン、ホッとした気分になった。全く心が解きほぐされた。いつか、信楽・滋賀に帰れるだろうかと、思ってみたりもする。が、ま、それは、たまに行くからそんな風に思うのかもなぁ。
帰りたいという思いを叶えるには、ぼくの場合、沢山の困難なハードルを越えなければならない。そもそも、そんなハードルが出来てしまったのは、ぼくの自業自得・身から出た錆のせいでもあり、渡世の義理のせいでもあり、多少は運命のいたずらのせいでもある。(まことに残念ながら)
クラス会といえば、これも残念ながら参加者は少なかった。これも今の日本の時勢柄だろうか。
みんないろいろ事情があるからな!! 亡くなったクラスメイトも2人増えた。!!
けれどけれど!!!地元に住んでいるメンバーのお世話のおかげで、最高に楽しく、いい時間を過ごさせてもらった。みんな歳をとってしまったなぁ。
会の初頭にあいさつをしてくれと幹事さんから頼まれて、どんなことを喋ろうかと考えつつ浮かんできた思いがある。
それは、この歳まで、さまざまな垢がたまり、目詰まりが起きて、さまざまな屈折があり、義理の皮が厚くなってしまってはいるが、それを無理やり削ぎ落とし、引き剥がし、透かしてみると、存外ぼくという人間の本質というか気質というものあたりは、中学生時代とあまり変わってはいないなぁ、ということだ。そのことを挨拶で話した。けれど、こんな風に、昔のクラスメイトに会うと、ジワジワと中学生当時の空気というか肌触りが蘇ってくる。外側に付着しているものどもは、わざわざ引き剥がすようなことをしなくても、自然に融解していく。中学生時代の信楽で暮らしていたころの、いろいろな風景、情景といったものたちが、蘇ってくる。どれも多少ほろ苦く、多少甘酸っぱく、多少涙ぐましく、多少はほんのりしたものだけれど。不思議なことだ。
中学3年のクラス担任のI先生はもうすぐ80歳になられる。今もなお、なかなかのダンディでシックな紳士であり、ぼくにとってはいつまでもいい「先生」である。会の最中に、平均寿命まであと2年という歳になってしまったと自らいっておられた。先生とはときどきメールのやりとりがあって、お互いに元気でいるのを確認しあっているのだけれど、そういえば、何年か前「わたしも平均寿命まで10年になりました」という文言が入ったメールをいただいて、ギョっとした記憶がある。ときどきそんな風にグサっとくるような辛辣なことをおっしゃる。今回ぼくは先生の隣の席だった。そこでコソっとおっしゃる。「人間、気質・本質が変わらんのはDNAやで・・・」
DNAねぇ。ディオキシリボ核酸(Deoxyribonucleic acid)。中学からから高校に進んで、一年生の生物で最初で出てきたのがこれである。DNA はデオキシリボース(五炭糖)とリン酸、塩基 から構成される核酸で、螺旋状に繋がっているということらしいと・・・そんなことまで思い出してしまう。
地球上の生物はみんな独自のDNAを持っているが、これは自分の努力や祈りなどではどうしようもないものだ。ぼくという人間の深い闇の中で密かに息づいていて、ぼくの意図とは関係なくぼくを支配している。ぼくのようにあまり自分のことを気に入らないというか、自分に違和感をもっている者には暗澹たる気持ちになってしまう真実である。
<種において完璧なものは種をこえる ゲーテ>
DNA!いまいましいやつめ! 出来ることなら、ぼくの遺伝子を組み換えてもらいたいものだ!
<<付記: 3月2日の朝日新聞朝刊にあった記事。生物の分類をDNAによる分類法に変えようという方向にかなり進んでいるらしい。それも世界的に。ちょっと調べてみたら、今までの分類と全然違うものになっている。受験で文科系を受けたのに、入試に理科が2科目あってそのとき必死で覚えた分類だけれど、いまではすっかり忘れてしまっているので、ぼくにはあまり不都合はないのだが、しっかり覚えて込んでしまっている人にはこれは少なからずショックだろう。この分類法が取られると、人間は猿の仲間ではなくて、ゴキブリの仲間になってしまうかも知れない。>>