≪変わらないものは、ないの? 女に聞いてみる。 女は首をあいまいにふる。 うべなっているのだか、いなんでいるのだか、それともまた、どちらでもないのか。≫ 川上弘美 『真鶴』(文芸春秋)
相変わらずの戯言でブログを汚しております。長い間ブログしてないので、ちょっと調子を思い出すのに、こんなことを。
上の文章は川上弘美の『真鶴:』という小説の一部です。わたしが下線を付けたところですが、いまどき、「うべなう」「いなむ」なんてことばには、めったに出会うことがない。まあ作品自体もいい小説だと思ったのですが。ただわたしはこの言葉の響きがいいのでこのくだりは感心したのす。意味は「肯定も否定もしない」というぐらいの意味でしょうが。
「うべなう」と「いなむ」って辞書ではどんな風に書かれているかしらべたところ、『日本国語大辞典』(小学館)には
≪うべなう【諾・宜】(平安以降「むべなう」とも表記された 副詞「うべ」に活用語尾「なう」の付いた語)「うべ」と思う。同意する。願い、要求をなどを聞き入れる。≫とある。
≪うべなう【諾・宜】(平安以降「むべなう」とも表記された 副詞「うべ」に活用語尾「なう」の付いた語)「うべ」と思う。同意する。願い、要求をなどを聞き入れる。≫とある。
では「うべ」ってどういう意味?ってことになりますね。
≪うべ【諾・宜】(平安以降には普通「むべ」と表記される。)あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表す。なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。≫
≪うべ【諾・宜】(平安以降には普通「むべ」と表記される。)あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表す。なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。≫
そうか!思い出しました、「むべ」なんだ。時代劇なんかの台詞で「むべなるかな」って聞いたことがあるぞ。それに百人一首にもありましたねえ、古今集の有名な歌で≪吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀≫ってのが。
『大言海』(冨山房)の項には≪ウベ(得可)ノ義。肯(うけ)得ベキ理(ことわり)ノ意≫とあって、わたしは、川上弘美さんのこの文章には、これが一番近い説明になるように思います。
続いて、「いなむ」のほうも。これは「否」に活用する接尾語を付けたと想像できます。で、『日本国語大辞典』ではどうか。
≪いなむ【辞・否】(「いなぶ」の変化した語)承知しないということを表す。断る。嫌がる。辞退する。≫
≪いなむ【辞・否】(「いなぶ」の変化した語)承知しないということを表す。断る。嫌がる。辞退する。≫
そうか。「いなぶ」という言葉が先にあったのですね。例文に『蜻蛉日記』から≪あしともよしともあらんを、いなむまじき人は、このごろ京に物し給はず≫というのが引用されていました。『広辞苑』でもこのくだりが例文に紹介されている。
「ちかごろは良いこと悪いことにつけ、はっきり拒否するひとが京にはいなくなった」というほどの意味かなと思っていたら、わたしの間違いだったようです。堀辰雄の現代語訳(『かげろうふの日記』新潮文庫)よると「善いにせよ、悪いにせよ、こう云うような私をそっくりそのまま受け入れてくれるのは父ばかりだと思えたが、この頃は京にいらっしゃらない」ということらしい。
「ちかごろは良いこと悪いことにつけ、はっきり拒否するひとが京にはいなくなった」というほどの意味かなと思っていたら、わたしの間違いだったようです。堀辰雄の現代語訳(『かげろうふの日記』新潮文庫)よると「善いにせよ、悪いにせよ、こう云うような私をそっくりそのまま受け入れてくれるのは父ばかりだと思えたが、この頃は京にいらっしゃらない」ということらしい。
ちょっと肩すかし、恥をかくところでした。むべなるかな!