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2014年10月23日木曜日

 Impronptu 金色のちひさき鳥のかたちして銀杏・・・



金色のちひさき鳥のかたちして銀杏散るなり岡の夕日に
                      与謝野晶子 『恋ごろも』

写真は今宮神社前2009と京都大学吉田寮前2012です。太陽光線がちょっとシックになるこの季節、イチョウの黄色は街の風景を明るくしますねえ。あまり銀杏の写真を沢山ならべると、写真からイチョウ独特の臭いが出そうですな。

あゝ、そうです、この銀杏のこの臭い、ビロボールbilobolとイチョウ酸という物質の匂いなんですって。「植物文化研究会編『花と樹の事典』柏書房」という本のイチョウの項目に書いてありました。今回はこの本に頼って書きます。

ところでイチョウのこと漢字で「公孫樹」とも書くことがありますね。「公」は祖父の尊称で、祖父が植えても実がなるのは孫の代になることからだそうです。でもいわゆる「ギンナン銀杏」は実ではなく、種だそうです。おいしいのですが、食べ過ぎると中毒症状をおこすそうですよ。気をつけて。その他薬用としては咳止め、去痰に使用されることもあると書いていますが、葉を書籍に挟んでおくと紙魚(しみ)除けになるとも書いてある。こちらは試してみてもあまり害はなさそうだ。

そこで、「イチョウ」という日本語の語源なのですが、いろいろ説がある。
①中国名の一つ「鴨脚樹」の鴨脚の発音を日本で「ヤーチャオ」と聞き、それがイーチャオとなり、さらに転訛した。
②葉が一枚であるため一葉の意味
③漢名の銀杏をイキョウと発音し、これが訛ってイチョウになった。
④葉の形をチョウ(蝶)に見立て、イ(寝)寝たるチョウの意味から。
別に学術的に調べたわけではないのですが、②と④はなんともこじつけっぽいですねぇ。

日本では相当昔から自生も、栽培もしていたようですが、渡来時期はわからない。ただ江戸期元禄時代に、この銀杏を珍しがったドイツ人ケンペルによってヨーロッパに紹介され、以後世界中に栽植されたということです。

このイチョウという植物、「生きた化石」といわれています。分類でいうと裸子植物門イチョウ綱ということ。あの映画「ジュラシックパーク」で一躍ポピュラーになった中生代ジュラ紀(約1億9000万年前)にイチョウの仲間の植物は最も繁栄していた。その中で現存するのがこの一種のみ。つまり、イチョウ科の植物はイチョウのみということになります。銀杏の御先祖さまは恐竜たちの雄叫びを聞いていたのですねぇ。(恐竜たちが最盛期を迎えるのは、ジュラ紀のあとの白亜紀だそうですが。)ちょっと感動します。


(このブログは京都四条大宮の池上助産院のサイトに掲載したものと同じです。)
                                 

2014年9月26日金曜日

藤 袴


古い写真を整理しているとき、2006年に
撮ったものの中に、アサギマダラと藤袴のツーショットを見つけました。当時わたしが使っていたデジタルカメラの性能から考えると、非常に良く撮れた写真です。まずは自画自賛!
なにぶんにも八年も前のことですから、撮影場所のことは正確には思い出せないのですが、
おそらく京都鹿ケ谷の大豊神社ではないかと思います。



下のもう一枚の写真は、去年下鴨神社で撮った藤袴。さすが咲きっぷりがみごとです。

萩の花尾花葛花
瞿麦(なでしこ)の花女郎花
また藤袴朝顔の花
       山上憶良
万葉集に詠まれているということは、
この植物、万葉の時代には日本に存在していたことになりますね。秋は香りのいい植物が多いですが、この藤袴もとても香りのいい植物で、古くは中国あたりでは、お風呂に浮かせたり、頭髪を洗うのに使っていたそうです。そんなことからでしょう、相当古い時代に大陸から日本にやって来た植物であるというのが定説。だけど大陸だけではなく、もともとわが日本列島にも自生していたという説もあるそうです。『万葉集』のほか『日本書紀』にも出てくる。このあたりは小学館の『日本大百科全書』の記事を参考にして、知ったかぶりをしています。だけど古い時代のことはよくわからないことが多いですね。人間のさまざまな生の活動が、記録を消してしまったりする。

そんな藤袴も絶滅危惧種にされている植物のひとつです。土地開発などの行為で自生できる平地の草地がなくなってしまった。

ついでに、よくわからないことをもう一つ。万葉仮名では「布知波加麻」などと書かれていたわけですが、漢字の用法が定着すると「藤袴」という意味のある漢字があてられたが、その理由や由来をちゃんと書いたものがないそうです。(『野草の名前 秋・冬』山と渓谷社)

花弁が袴のかたちをしているとか、その花弁から花芯が足のように伸びて出ているとかが名前の由来。想像力が豊かな人がいつの時代にも居るもので、いろんな説がありますが、藤袴に関してはそうとんでもなくて面白い説は無さそうです。

(このブログは京都 池上助産院さんのホームページに掲載されたものと同じです。)

2014年8月25日月曜日

萩と月 2014 


一家に遊女も寝たり萩と月  芭蕉


写真は京都左京区に二か所ある「萩の寺」の萩、昨年撮ったものです。


それにしても上の句、芭蕉の句にしてはずいぶん艶っぽいですね。『奥の細道』の「市振」での一句。教科書などで「細道」に出会った人も、原文に挑戦したことのある人も、もうこの紀行も終わりの方なので、ここまでたどり着けなかった方も多いのではないでしょうかね。それでこの句には出会わなかった。そんな方には、千載一遇の機会ですよ。
「市振」は今の新潟県糸魚川市の西部、もう富山県境が目の前というところです。当時から港町だったということで、華やいだ空気が漂っていたのでしょうか。芭蕉翁もちょっと華やいだ?

芭蕉は「今日は親知らず、子知らず、犬戻り・・・」という出で「市振」を書き出しています。ここは原文を読んでいただくのがいいのですが、今回手っ取り早く、現代語訳でいきます。先年若くして亡くなった立松和平さんの『スラスラ読める「奥の細道」』(講談社)からそのままお借りします。細かいところが違っていたらごめんなさい、わたしのタイプミスです。

迎穪寺
≪ 市振  親知らず、子知らず、犬戻り、駒返などという北國一の難所を越えて、疲れてしまった。枕を引き寄せて寝たところに、一間隔てた西の方に、若い女二人の声が聞こえた。年老いた男の声もまじって物語をするのを聞けば、越後の新潟という所の遊女であった。伊勢参宮をするということで、この関まで男が送ってきて、明日は男に託(ことづ)けて故郷に返す手紙をしたためて、細かな言伝えなどしてやっている様子だ。白波が寄せる渚に身をまかす漁師のように人生の波にさすらい、この世の底まであさましく身を落とし、夜毎に変わる定めなき契り、このような日を送る前世の業因はなんと悪いことかと、話を聞きながらうとうと眠ってしまった。
朝旅立とうとするとき、私たち向かって「行方もわからない旅路の心細さ、あまりにおぼつかなくて悲しゅうございますから、見え隠れしながら御跡をついていきとうございます。僧の衣をお召しのお身の上の御情に大慈の恵みお分かちくだされ、仏縁をもたせていただきとう存じます」と泪を落とす。「不憫なことではあるが、私たちはあっちこっちととどまるところが多い。人が大勢いく方向にまかせていくとよい。伊勢大神宮のご加護が必ずあり、無事につくことができるでしょう。」と言い捨てて出発してしまったのだが、哀れさがしばらく胸の中にやまなかった。≫

という散文(原文は江戸期の文語体ですが)につづいて、上の「一家・・・」の句が記されている。さらに句につづいて「曾良に語れば書きとどめ侍る」とくるわけです。ところが同行の弟子曾良に書き留めておいてくれよと伝えたのですが、曾良の残した『俳諧書留』の中に、このとき書き留めがない、そういう気配もないそうです。

それでこの市振の一件は芭蕉の創作ではないかと云われている。まあ。お伊勢さんまでつれて行ってくれ、なんてせがまれる場面はなかったかも知れない。けれども宿の部屋の壁の向こうから、艶めかしい女性の声が漏れ聞こえてくるようなことあったでしょうよ。まあ全くの創作と云ってしまうのはどうかとは思うのですが。
 
常林寺
作家で芭蕉研究家の嵐山光三郎もこれは芭蕉翁の創作だといいつつ、『奥の細道』は歌仙を巻くように一句一句懐におさめていく紀行であって、さらに「歌仙の芯は、月、花、恋、である。月を眺め胸がざわめき、花を見て心がはなやぎ、恋に身をこがしてさすらうことが風狂の旅である。歌仙を巻くのは座敷の席であり、実際に旅をするわけではなく、密室で幻視する月、花、恋である。それを『細道』に巧みにはめ込むところに芭蕉の技があった」(『芭蕉紀行』新潮文庫)。芭蕉の技かぁ!卓見ですねぇ。

どちらにせよ、この一句、そんな背景をなしにこの発句だけ取り出して読んでも、存在感のある名句で、さすが芭蕉大宗匠とうならせるものがあります。うんうん!

ところで、今年仲秋の満月は九月八日です。仲秋の迷月は「初恋を偲ぶ夜」です。
いやっ、わたしが言っているのではなく、井伏鱒二がいっているのですよ。

けふは仲秋明月
初恋を偲ぶ夜
われら万障くりあはせ
よしの屋で独り酒をのむ
     『荻久保風土記』より          

     Sakon Kisse 記 (このブログは池上助産院のホームページ掲載したものと同じです。)

2014年7月28日月曜日

久しぶりのブログ 『凌霄花』のうぜんかずら


我が家へ入る路地で撮った凌霄花の写真です。
今年の2月に(それも半年ぶり)の投稿して以来、サボってばかりの『凡夫の戯言』であります。
書きかけてはボツにしたり、下書きのまま塩漬けになっていたりで、日の目を見ない原稿が、わが「Blogger」ダッシュボードにはうんと溜まってしまって・・・・
久しぶりの投稿も、京都四条大宮の池上助産院さんのウェブサイトに、ちょっとした行きがかりで、毎月私が書くことになった文章の、今月分からの転用です。
ご了承ください。

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さて、ここからが本文

のうぜんかずら

英語ではtrumpet creeper 。 creepというのは這い登るという動詞ですね。コーヒーに入れる粉ミルクのことではないんですね。這い登るラッパ?辞書をよく読むとcreeperというのは「つる植物」の総称らしいですね。(a plant that grows along the ground, up walls, etc.;often winding itself around other plants【OALDの解説】)ラッパ蔓。

やつぱりお留守でのうぜんかづら 山頭火

のうぜんかずらという植物は中国原産だということです。自分で確かめたわけじゃないのですが、日本国語大辞典の「のうしょう」の項目記事で、平安時代の本草書『本草和名(ほんぞうわみょう)』(918年)に「乃宇世宇(のうせう)」という名が出ているそうです。平安時代には日本にあった。じゃあ帰化植物かということになりますね。こんなに古くからある植物は、帰化植物とはいわないそうです。それでは、いったい何時ごろ日本にやってきた種類のものからそういうのか。これを決める時期的区分には定説はないらしい。江戸末期以降とする説や、安土桃山時代以降に考える説、明治以降という主張もある。ただそういった新しく入ってきた種に絞っても、日本の4分の1にあたる種類が帰化植物になるそうです。(『日本の帰化植物』平凡社)まあ、動物よりは容易に入ってくるのでは。渡り鳥・昆虫・最近は人間にもくっついて入ってくる。

中国原産ということで漢名は凌霄花。霄は「みぞれ」、「そら」といったところがだいたいの意味、また古くは「ソラ」「オオソラ」「ヨル」などと訓読みしたそうです。元の意味は霄雪。のちに暗く遥かといった意味合いにより、天空の意味に用いるようになったと(『字通』白川静)は解説しています。「天空を凌ぐ」なんてちょっとオーバーな表現のような気もしますが、ひょっとして、そんな大木になった凌霄花があるのかもしれません。『広辞苑』では10m位の高さになると解説しています。わたしはまだそんな大木の凌霄花にお目にかかったことがありません。木の寿命も長いそうで、秀吉の軍隊が朝鮮半島から持ち帰ったという凌霄花が金沢にあると聞きます。少なくとも400年程度は経っていることになりますね。

凌霄花を音読みすると「リョウショウ(セウ)カ」となるのですが、今回も語源辞典(東京堂出版)を頼りにしてみますと、りょうせうはr音がn音の交替によってまず「ノウセウ」なった。前述の平安期の記録にあるかたちですね。それがさらに変じて、「ノウゼン」と訛った。ということらしい。う~~ん。でも、日本国語大辞典でも大言海の解説を引用して「ノウゼンは古名ノセウまたはノウセウの転。ノウセウは「陵苕」の音転か」としている。あまり異説がないようなので、説き伏せられるより仕様がないですね。

ところで、この語源辞典にはまだ説明の続きがあります。それは「かずら」の説明。「菖蒲のかづら・・・**かづらは多く、・・かずらは頭の上にかぶせる蔓状のものをかみつら(上連)といったのが語源。」知らなかったなぁ。アデランスとつる植物はもともと同じ意味・語源である!ですね。

それはそうと、『養生訓』の貝原益軒先生は「花上の露、目に入れば  目暗くなる」と記し有毒植物のように言っているそうですが、これは嘘! 毒はありません。        Sakon Kisse 記

2014年2月18日火曜日

【今日の表現 「うべなう」 「いなむ」】

≪変わらないものは、ないの? 女に聞いてみる。 女は首をあいまいにふる。 うべなっているのだか、いなんでいるのだか、それともまた、どちらでもないのか。≫ 川上弘美  『真鶴』(文芸春秋)

相変わらずの戯言でブログを汚しております。長い間ブログしてないので、ちょっと調子を思い出すのに、こんなことを。
 
上の文章は川上弘美の『真鶴:』という小説の一部です。わたしが下線を付けたところですが、いまどき、「うべなう」「いなむ」なんてことばには、めったに出会うことがない。まあ作品自体もいい小説だと思ったのですが。ただわたしはこの言葉の響きがいいのでこのくだりは感心したのす。意味は「肯定も否定もしない」というぐらいの意味でしょうが。

「うべなう」と「いなむ」って辞書ではどんな風に書かれているかしらべたところ、『日本国語大辞典』(小学館)には
≪うべなう【諾・宜】(平安以降「むべなう」とも表記された 副詞「うべ」に活用語尾「なう」の付いた語)「うべ」と思う。同意する。願い、要求をなどを聞き入れる。≫とある。

では「うべ」ってどういう意味?ってことになりますね。
≪うべ【諾・宜】(平安以降には普通「むべ」と表記される。)あとに述べる事柄を当然だと肯定したり、満足して得心したりする意を表す。なるほど。まことに。もっともなことに。本当に。≫

そうか!思い出しました、「むべ」なんだ。時代劇なんかの台詞で「むべなるかな」って聞いたことがあるぞ。それに百人一首にもありましたねえ、古今集の有名な歌で≪吹くからに秋の草木のしをるればむべ山風を嵐といふらむ 文屋康秀≫ってのが。

『大言海』(冨山房)の項には≪ウベ(得可)ノ義。肯(うけ)得ベキ理(ことわり)ノ意≫とあって、わたしは、川上弘美さんのこの文章には、これが一番近い説明になるように思います。

続いて、「いなむ」のほうも。これは「否」に活用する接尾語を付けたと想像できます。で、『日本国語大辞典』ではどうか。
≪いなむ【辞・否】(「いなぶ」の変化した語)承知しないということを表す。断る。嫌がる。辞退する。≫

そうか。「いなぶ」という言葉が先にあったのですね。例文に『蜻蛉日記』から≪あしともよしともあらんを、いなむまじき人は、このごろ京に物し給はず≫というのが引用されていました。『広辞苑』でもこのくだりが例文に紹介されている。

「ちかごろは良いこと悪いことにつけ、はっきり拒否するひとが京にはいなくなった」というほどの意味かなと思っていたら、わたしの間違いだったようです。堀辰雄の現代語訳(『かげろうふの日記』新潮文庫)よると「善いにせよ、悪いにせよ、こう云うような私をそっくりそのまま受け入れてくれるのは父ばかりだと思えたが、この頃は京にいらっしゃらない」ということらしい。

ちょっと肩すかし、恥をかくところでした。むべなるかな!

2013年9月13日金曜日

【今日の寓話】

≪最初期の人類が出た場所は、東アフリカではなく中央アフリカで、乾燥化が進んだ草原ではなく森のある場所だと明らかになった。(中略)乾燥した草原に取り残された類人猿がそこでの生活に適応するために二足歩行するようになったのではなく、森で生活している間にたまたま二足歩行できるようになった類人猿が草原に出てくるようになったのだろう。(中略)環境に適して徐々に形が変わっていくのではなく、むしろ形が先に変わり、その形に合わせた環境を選ぶというのが動物の基本的なスタイルなのである。・・・適さない環境に耐えながらじっとそこに留まって、突然変異と自然選択を待つという生物はいない。≫ 
池田清彦 『38億年 生物進化の旅』 (新潮文庫)/新潮社


 その日は早い時刻から床に入っていた。だから、そんなに遅い時刻ではなかったように思う。ど~ん、ど~んと部屋のドアをノックというより叩く音がして目が覚めた。外はいつしか雨がらしく、窓の外から、少し大粒の雨音が聞こえていた。

「ホーイ」と大声で返事をし、眠気と訝しい気持ちとが混ざった状態で、ゆっくりとドアを開けた。

「左近さんこんばんは。夜分恐れ入ります。実はお願いがあるのですが。」

ドアの向こうに雨を背に立っていたのは、数年前から我が家のとなりの草むらに住んでいる、とのさまがえるのバレンティンだった。
彼の何代か前あたりから、二足歩行をする仲間が増え始め、バレンティンの場合も生まれて間もなく、苦もなしに二足歩行を身につけたのだった。

「どうしたの?」

バレンティンはドアを叩いた音とは対照的な静かな物言いで
「実は自転車をお借りしたいのですが。」

「どうぞどうぞ、ぼくはちっともかまわない。が、いまごろから自転車でお出かけかね?」

「実は今夜、円山公園で蛙の集会があるのです。」

「へえ、こんな雨の夜にかい?」

「われわれには晴れも雨もあまり関係ありません。むしろ雨の日のほうが快適です。」

「今夜は、蛙の基本的権利を人間に認めさせようというデモと集会があるのですが、岩倉川から高野川、鴨川と泳いで行ったのでは遠すぎて間に合わないのです。それに鴨川の四条通りは交通量が多くて・・・
 われわれ蛙は公共の交通機関にも乗れません。全裸ではだめだというのです。おまけにわれわれには運転免許証をとる資格基準もつくられていないので、車の運転もできません。せっかく二足歩行も獲得したことだし、そのあたりの不公平を改善してもらおうと、デモと集会を実施することになったのです。
 できれば上下水道の利用も可能にしたいもんです。そうすれば、もっと便利な街中に住めるようになります。水はわれわれにとって、人間以上に死活問題です。何しろ体が乾くと具合が悪いのです。」

「ああ。そのことなら、新聞なんかにも書かれていて、知っていたよ。それが今夜なんだね。」

「そうなんです。それで自転車をお借りしたいのです。やっと、練習の甲斐あって、なんとか自転車には乗れるようになりましたので。」

「そうですか。気を付けて行ってらっしゃい。」

「では、ちょっとお借りします。おやすみなさい。」
「ああ、おやすみなさい。」

暗闇の雨の中を、さらに闇の深い影を残してバレンティンは自転車で去って行った。

彼がとなりの空き地から街中に引っ越してしまったら、寂しくなるなぁ。


≪一つの種は概ね100万年~200万年ほどで滅びている。種の交代が煩雑に起きているので、ジュラ紀と白亜紀の恐竜はまったく異なる種の恐竜である。これは恐竜に限らないが、なぜそのように種の絶滅と新しい種の発生がくり返し起こるのかも謎である。≫ 同上書

2013年6月10日月曜日

【今日の雑学】どくだみ 蕺



今年もどくだみの花が咲きだしました。白い4枚花弁で十字形の可憐な花、美しい!実を言うとこれは花ではなく萼(がく)だそうでですが、紫陽花、半夏生も、その他いろいろな植物、萼を花と見立て観賞していますから、ま、ここ花ということで押し通しましょう。

それにしても、どうしてこんな可憐で美しく、たんまりと花咲く植物に、どういう訳があって「どくだみ」なんて忌み嫌われたような名前が付いたのでしょうかね。

「どくだみ」は古い時代には之布岐(シブキ)と呼ばれていたらしいのです。「どくだみ」より断然言葉の響きがいいですね。水しぶきを想像させて、爽やかでピッタリだ。それが江戸時代あたりから「どくだみ」と呼ばれだしたらしい。これは『広辞苑』(第6版)の「どくだみ」項目にちょこっと書かれています。

ぼくの考えでは、これはこの植物の持つ臭いせいではないかと思うのです。たしかに梅雨のじっとりとした空気に乗ってくるどくだみ臭いは、好きになれる人はあまりいないでしょうね。ま、花の印象のような爽やかさはない。美女の体臭?

そこで、この「どくだみ」と呼ばれる由来をちょっと調べました。毒矯める(ためる=抑える)から「毒矯み」という名が発しているという説明されていることが多いのですが、どうもしっくり来ない。白川静先生の『字通』をはじめ漢和辞典はほとんどが、「矯める」という漢字の字義は、「曲がった(矢・根性)だどを真っ直ぐ正すこと」であるしか書かれていないんですね。「抑える」という字義は登場しない。

では他にどんな説明があるか。
例えば、これは『日本国語大辞典』の記事です。
1 ドクヲタム(毒溜)
2 ドクイタミ(毒痛)
3 ドククダシノミ(毒下飲)
4 テクサミ(手臭)

4なんかはまさに臭いからこのような名がついたという説ですね。これを見ていると、どうやら定説はなさそうだ。

方言もいろいろあるようです。ドグダビ(秋田 岩手)ドクダニ(埼玉)ドクダメ(越後 埼玉 岐阜 鳥取 島根)ニュウドウグサ(中国西部 北九州) ジゴクソバ(福島 青森)などなど。「ジゴクソバ」なんてのはちょっと怖いなぁ。

だけど、いずれにせよ「矯める」説はどうも違う気がする。ちょっと遠い感じ。ある薬膳料理屋さんのサイトで「毒痛み」説をとっていました。さてあなたはどう思いますか?

薬膳で思い出したけれど、この「どくだみ」を「じゅうやく」と呼ぶこともあります。ぼくも聞いたことがあるし、「じゅうやく」という名の「どくだみ茶」も飲んだことがある。美味いとはとても思えなかったけれど。

「じゅうやく」という呼称は、どくだみを干して煎じて飲むとさまざまな薬効があることに由来するらしいですが。どくだみを干したものだけを「じゅうやく」呼ぶのか、どくだみという植物そのものを別名としてそういう言い方をするのか、そこのところはまだよく分からない。

どくだみのことを「じゅうやく」というのは、かの『養生訓』で有名な貝原益軒が、十以上の薬効があるので「じゅうやく」(=十薬)というと言ったそうだが、これは間違い。これはもともとどくだみの漢字「蕺」の音「ジュウ」から来ていて「蕺薬=ジュウヤク」というのが正しいらしい。(杉本つとむ 『語源海』 東京書籍によります。)

でも益軒先生の間違いかな?まあ何もそんなに頭ごなしに「間違い」だと言わなくても。庶民に解かりやすく説明するのに、先生が使った方便の可能性だってある。ま、何ごとも穏便に。

それでも、やっぱり「しぶき」と呼ぶのがいいですね。