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2010年6月13日日曜日

こんどは、小学校のクラス会


今年は小学校を卒業してから50年になる。半世紀が経ったわけだ。そのせいか、最近同い年の友人からのメールや郵便にも小学校のクラス会や同窓会などのイベントがあるという便りをよくもらう。なかには修学旅行を再現するというのもあったりする。

他聞にもれず、ぼくにも小学校のクラス会の案内が来て、この6月の初めの日曜日に出身小学校のある信楽へ行って、クラス会に寄せてもらった。こちらは担任だったS先生が平成の初めに他界されているので、まずはみんなで墓参りということになった。

ことしはたまたま、小中学のクラス会や同窓会が目白押しで、2月にも中学3年のクラス会があったばかりだし、8月には中学の学年同窓会がある。いつものことだけれど、地元で暮らしているクラスメイトたちが、頑張って手配準備をしてくれるので、とても楽しい有意義な集まりになる。ありがたいことである。

じつをいうと、ぼくの場合、小学校時代の思い出というものが、じつに曖昧なのだ。あまりに長い年月が経っていて、記憶の倉庫のはるか奥のほうに埋没してしまっている。断片的なシーンといったかんじの思い出があるのだけれど、霞がかかってフォーカスが合わないのだ。

それでも、クラス会では、みんなであの時はこうやった、ああやったと思い出を持ち寄って話しているうちに、そういうみんなの記憶がキルト・パッチワークのように縫い合われて、思い出の全体像が浮かび上がってくるのだった。

面白いのは修学旅行にお米を携えていったことを、誰かが覚えていて、ああそんなことあったなぁ。まだ食料統制の名残とかがあったり、食管法がきちんと施行されていたから?それとも旅費を少しでもやすく上げるため?ぼくらの小学生時代の昭和30年代は東京オリンピックのはるか前、みんな今みたいに豊かではなかった。お金持ちの家にテレビがあるくらいで・・・

田舎町で熟もなく、持ち回りでグループ学習をしていた。放課後帰ってから、グループで順番持ち回りで各自の家へいって、宿題をしたり、復習をしたり。担任のS先生がなんとかクラスの児童に勉強癖をつけせようと熱心で、今から思うといろいろ懸命に工夫をされていたようだ。

もうひとつ傑作な思い出。街の中心部のはずれに愛宕山という小高い里山がある。秘密基地というか隠れ家をつくったり、小枝を切ってチャンバラしたり、ふだんぼくらの遊び場になっていたところだ。ところがある時期、高校生ぐらいの男女をちょくちょく出没するようになった。ようするにそのカップルはデートを重ねていたのである。ある日そのデートの現場を何人かで覗きに行くことにした。ところが、小学生の幼稚な工夫ではすぐに見つかってしまい、なにしろその男はナイフを持っていて、それを太陽に光らせて追っかけてきたのだ。さあこちらは大騒ぎ、山の坂道を滑るやら、転がるやら、必死で逃げ帰ってきた。この事件、そもそもその覗きを先導したが、ぼくらしいのだ。ぼく自身には、先導したような記憶はないんだけれど、みんながそういうから、間違いはないのだろう。まるでスダンド・バイ・ミーの世界だ。

友人の兄貴が、小学生のぼくたちにいろいろ悪さを教えたこともあったし・・・

昭和20年代の終わりから30年代のなかば、昭和の真っ只中の田舎町、なんだか牧歌的な日々がつづいていた。そして、「戦後の空気」が、まだそちらこちらに、ぷかぷかと漂っていた。

放課後の小学校のグランドもだいじな遊び場だった。球技や砂場の相撲の途中で息を切らしてグランドの地べたに仰向けに寝転んだ時の、砂と土の匂い、目の前には無限に澄んだ青空が。いまごろになって、なつかしくほんのり記憶に蘇ってくる。

ところでひとつ気になることがある。クラス会に来ていた複数のメンバーが、ぼくのことを「いまだにおまえは謎や」というのだ。そんなことを人にいわれたのは初めてだし、何事かを秘匿して人生を送ってきたわけではないのだが・・・。どういうことだろう?

2010年6月3日木曜日

6月2日のメール


6月の最初のブログがメールの写しとは。もうメールで読まれた方には申しわけありません。


FMラジオのディスクジョッキーが云っていたのだけれど、6月2日鳩山首相が辞意表明した日は、「裏切りの日」だということだ。なぜそんな日に符合しているのかというと、いわゆる「本能寺の変」、織田信長が明智光秀に本能寺で急襲にあって自刃した日が6月2日だというのである。その時代旧暦なので、ぴったり其の日かどうかはわからない。
(五月雨でも旧暦でいうと、いまの梅雨頃の雨だというように)

それにしても正直、「政権交代」には、たくさんの期待をしていたのになぁと、いまごろ思い起こす。とはいっても、政治の世界だけでなく、世の中、いろんな思惑で人それぞれ動いているのだから、ままならないのは仕方ないはなしではあるが。

さて次の日曜日6月6日は二十四節季の「芒種」だ。稲などの穂の出る穀物を種をまく頃ということだが、最近は五月の連休の人手のある頃には、ほとんどの農家が田植えを済ませてしまっている。そういう品種の稲に変わったのか、それこそ地球の気候が変わったのか・・・ま、どちらもだろうけれど。

五月初めに、滋賀で田植えを目の当たりにしたのだけれど、いまは苗の植え付けはほとんど機械による作業で、その田植えの機械がほんとによく出来ているのに感心して見入ってしまった。水田の作業は、どろ沼を歩くのと同じで、一歩進むために足を引き上げるのにすごい力が要って、腰に負担がかかる。高齢になるととても耐えられんという話を、だいぶ前に親戚の農家のお年寄りに聞いたことがある。「ごはん党」のぼくにはちょっと肩身の狭いはなしだが。

紫陽花がぼちぼち咲き始め、このところ、ちょっと夏を思わせる天候になってきた。だけど本格夏の前に梅雨を乗り切らなければね!
というわけでもないのですが、
今月は所要のため、2回あらかじめ決めたお休みをいただきます。6月6日日曜日と6月26、27(土日)両日。この日は電話もほぼ電波の届かないところにある予定です。ご不便おかけするかも知れませんが・・・(最近はチョーひまなので、ご迷惑かけることはチョー少ないと思いますが・・・)

もうひとつお知らせ。
京都出町柳駅前のジャズの流れる喫茶店(お酒も、ケーキも、カレーもあります)「ラッシュライフ」のオーナーとお客有志が、また、今年も上賀茂神社の庁舎(ちょうのしゃ)でピアノコンサートを開催する。今回も南アフリカから、アブドゥラ・イブラヒムが来てくれることになった。少し先になる話だけれど、
10月2日、3日(土日)夕方。
世界文化遺産の中の、重要文化財の建物の中で、アマチュアのスタッフが最高の条件で最高の演奏を聴けるように、「手作り」でコンサートを準備する。

まだ、ポスター、チラシ、チケットはまだ出来ていないのに、どこで聞きつけたか、もう問い合わせが来ている。それで慌てて、今日「ラッシュライフ」のサイトを更新した。お早めにご予約ください。
「ラッシュライフ」のサイトはこちら。

ところで、来る6月8日はわたしの誕生日。63年も生きのびることができた。
「めでたくもあり、めでたくもなし」というところでしょうか?とりあえず無事であることに感謝!