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2010年1月3日日曜日

事始 ブログはじめ





長い間ブログを書かなかったので、ブログの編集ページに入いれなくなって、とうとう新しいブログを開設するはめになった。年も改まったことだし、ま、いいですかね!


大晦日は鹿ケ谷法然院で除夜の鐘を突かせてもらった。去年あたりから法然院で除夜の鐘を突かせてもらっている。恒例になりそうだ。この除夜はは寒かったせいか、去年よりは参加者が少なかったように思う。信仰の薄い奴らめ!といえた柄でもないのだが。それにしても並んでいる人の中に、うるさいグループがあって、思わず面と向かって小言をいってしまった。無粋なじじいやと思われただろうね。そんな小言をいったぼく自身を少し気に入ってるが。

年明けて、この数年前から、これもぼくの恒例になった法然院の「新春法話」を聞きに行く。今年のお題は「法然と親鸞の人間観」ということだった。法話を聞いて思ったこと。念仏浄土の宗派は、善人だけでなく、悪人をも救おうということだけれど、善人か悪人の区分けをすると、どうもぼくは悪人に類するようだ。少なくともそう思うほうが毎日気を楽に暮らせるのではないか。こんな風に開き直るのは卑怯だろうか?

法話を聞いてもうひとつ知ったこと。ぼくが子供のころ祖父母が数え年で年齢を数えていた記憶があるが、昔はみんなそういう歳の数え方をしていたので、言ってみれば、元旦にみんな一斉に歳をとるわけだ。だから元旦を迎えるのはめでたい、みんな一緒に誕生日祝いをするようなものだから、盛り上がるというか、めでたい気分も倍増するわけだ。暮れにどうぞ「良いお年を」という挨拶をするのは、ほんとうは「どうぞよいお歳を」ということなのだ。新春法話はけっこう為になる。

ところで今年は元旦夜明けに月食があった。除夜の鐘を突きにいったため、いつも通り早朝に起きられず「観照」できなかったけれど、なんでも元旦の月食は「史上初」ということだ。よくニュース内容をよく読むと日本史上初めてということ。太陰暦=旧暦が採用されていた明治以前は正月元旦は必ず新月なので、日食が起こりえても、月食はありえないというのが「史上初」の種明かしである。太陽暦を使っていた古代エジプトや、古代ローマでは、きっと何百回も元日の月食があったに違いない。

はなしが変わって、
2日のニュースで時計3億円分の盗難があったことが伝えられていた。ビルの壁を破っての進入ということであるから、実行するにはそこそこ元手が要るのだし、盗んだ時計をさばく手立ても要る。食うに困って犯行ではないだろう。盗まれた店側も、高級装飾品をあつかっているところだから保険を掛けているだろうから、損保あたりが損をするだけだ。ひょっとしたら、店が資金繰りに困っての保険金詐欺という可能性もある。(個人のブロクやからこれくらいはいいでしょう)

といわけで、この事件はそんなに悲壮な感じはしないが、最近強盗や、ひったくり。いわゆる素人が食い詰めて犯行に及ぶ強盗事件が多い。日常てきな悲哀・悲壮を感じてしまう。富の偏在。所得格差。これらの大きなみなもとは、政治の大事な役割である、所得(富)の公正な再分配を怠っているからだと思う。ひとりの人間が10億円持っていても、そうそう遣いきれるものではない。1000のひとが100万円ずつ持っているほうが、効率良く遣えるし、きっと景気だって良くなる。人の気持ちだって穏やかになる。

そうはうまくいかないだろうか、所詮みんな人間は基本的には悪人なのだからねぇ。