ページ

2013年9月13日金曜日

【今日の寓話】

≪最初期の人類が出た場所は、東アフリカではなく中央アフリカで、乾燥化が進んだ草原ではなく森のある場所だと明らかになった。(中略)乾燥した草原に取り残された類人猿がそこでの生活に適応するために二足歩行するようになったのではなく、森で生活している間にたまたま二足歩行できるようになった類人猿が草原に出てくるようになったのだろう。(中略)環境に適して徐々に形が変わっていくのではなく、むしろ形が先に変わり、その形に合わせた環境を選ぶというのが動物の基本的なスタイルなのである。・・・適さない環境に耐えながらじっとそこに留まって、突然変異と自然選択を待つという生物はいない。≫ 
池田清彦 『38億年 生物進化の旅』 (新潮文庫)/新潮社


 その日は早い時刻から床に入っていた。だから、そんなに遅い時刻ではなかったように思う。ど~ん、ど~んと部屋のドアをノックというより叩く音がして目が覚めた。外はいつしか雨がらしく、窓の外から、少し大粒の雨音が聞こえていた。

「ホーイ」と大声で返事をし、眠気と訝しい気持ちとが混ざった状態で、ゆっくりとドアを開けた。

「左近さんこんばんは。夜分恐れ入ります。実はお願いがあるのですが。」

ドアの向こうに雨を背に立っていたのは、数年前から我が家のとなりの草むらに住んでいる、とのさまがえるのバレンティンだった。
彼の何代か前あたりから、二足歩行をする仲間が増え始め、バレンティンの場合も生まれて間もなく、苦もなしに二足歩行を身につけたのだった。

「どうしたの?」

バレンティンはドアを叩いた音とは対照的な静かな物言いで
「実は自転車をお借りしたいのですが。」

「どうぞどうぞ、ぼくはちっともかまわない。が、いまごろから自転車でお出かけかね?」

「実は今夜、円山公園で蛙の集会があるのです。」

「へえ、こんな雨の夜にかい?」

「われわれには晴れも雨もあまり関係ありません。むしろ雨の日のほうが快適です。」

「今夜は、蛙の基本的権利を人間に認めさせようというデモと集会があるのですが、岩倉川から高野川、鴨川と泳いで行ったのでは遠すぎて間に合わないのです。それに鴨川の四条通りは交通量が多くて・・・
 われわれ蛙は公共の交通機関にも乗れません。全裸ではだめだというのです。おまけにわれわれには運転免許証をとる資格基準もつくられていないので、車の運転もできません。せっかく二足歩行も獲得したことだし、そのあたりの不公平を改善してもらおうと、デモと集会を実施することになったのです。
 できれば上下水道の利用も可能にしたいもんです。そうすれば、もっと便利な街中に住めるようになります。水はわれわれにとって、人間以上に死活問題です。何しろ体が乾くと具合が悪いのです。」

「ああ。そのことなら、新聞なんかにも書かれていて、知っていたよ。それが今夜なんだね。」

「そうなんです。それで自転車をお借りしたいのです。やっと、練習の甲斐あって、なんとか自転車には乗れるようになりましたので。」

「そうですか。気を付けて行ってらっしゃい。」

「では、ちょっとお借りします。おやすみなさい。」
「ああ、おやすみなさい。」

暗闇の雨の中を、さらに闇の深い影を残してバレンティンは自転車で去って行った。

彼がとなりの空き地から街中に引っ越してしまったら、寂しくなるなぁ。


≪一つの種は概ね100万年~200万年ほどで滅びている。種の交代が煩雑に起きているので、ジュラ紀と白亜紀の恐竜はまったく異なる種の恐竜である。これは恐竜に限らないが、なぜそのように種の絶滅と新しい種の発生がくり返し起こるのかも謎である。≫ 同上書

2013年6月10日月曜日

【今日の雑学】どくだみ 蕺



今年もどくだみの花が咲きだしました。白い4枚花弁で十字形の可憐な花、美しい!実を言うとこれは花ではなく萼(がく)だそうでですが、紫陽花、半夏生も、その他いろいろな植物、萼を花と見立て観賞していますから、ま、ここ花ということで押し通しましょう。

それにしても、どうしてこんな可憐で美しく、たんまりと花咲く植物に、どういう訳があって「どくだみ」なんて忌み嫌われたような名前が付いたのでしょうかね。

「どくだみ」は古い時代には之布岐(シブキ)と呼ばれていたらしいのです。「どくだみ」より断然言葉の響きがいいですね。水しぶきを想像させて、爽やかでピッタリだ。それが江戸時代あたりから「どくだみ」と呼ばれだしたらしい。これは『広辞苑』(第6版)の「どくだみ」項目にちょこっと書かれています。

ぼくの考えでは、これはこの植物の持つ臭いせいではないかと思うのです。たしかに梅雨のじっとりとした空気に乗ってくるどくだみ臭いは、好きになれる人はあまりいないでしょうね。ま、花の印象のような爽やかさはない。美女の体臭?

そこで、この「どくだみ」と呼ばれる由来をちょっと調べました。毒矯める(ためる=抑える)から「毒矯み」という名が発しているという説明されていることが多いのですが、どうもしっくり来ない。白川静先生の『字通』をはじめ漢和辞典はほとんどが、「矯める」という漢字の字義は、「曲がった(矢・根性)だどを真っ直ぐ正すこと」であるしか書かれていないんですね。「抑える」という字義は登場しない。

では他にどんな説明があるか。
例えば、これは『日本国語大辞典』の記事です。
1 ドクヲタム(毒溜)
2 ドクイタミ(毒痛)
3 ドククダシノミ(毒下飲)
4 テクサミ(手臭)

4なんかはまさに臭いからこのような名がついたという説ですね。これを見ていると、どうやら定説はなさそうだ。

方言もいろいろあるようです。ドグダビ(秋田 岩手)ドクダニ(埼玉)ドクダメ(越後 埼玉 岐阜 鳥取 島根)ニュウドウグサ(中国西部 北九州) ジゴクソバ(福島 青森)などなど。「ジゴクソバ」なんてのはちょっと怖いなぁ。

だけど、いずれにせよ「矯める」説はどうも違う気がする。ちょっと遠い感じ。ある薬膳料理屋さんのサイトで「毒痛み」説をとっていました。さてあなたはどう思いますか?

薬膳で思い出したけれど、この「どくだみ」を「じゅうやく」と呼ぶこともあります。ぼくも聞いたことがあるし、「じゅうやく」という名の「どくだみ茶」も飲んだことがある。美味いとはとても思えなかったけれど。

「じゅうやく」という呼称は、どくだみを干して煎じて飲むとさまざまな薬効があることに由来するらしいですが。どくだみを干したものだけを「じゅうやく」呼ぶのか、どくだみという植物そのものを別名としてそういう言い方をするのか、そこのところはまだよく分からない。

どくだみのことを「じゅうやく」というのは、かの『養生訓』で有名な貝原益軒が、十以上の薬効があるので「じゅうやく」(=十薬)というと言ったそうだが、これは間違い。これはもともとどくだみの漢字「蕺」の音「ジュウ」から来ていて「蕺薬=ジュウヤク」というのが正しいらしい。(杉本つとむ 『語源海』 東京書籍によります。)

でも益軒先生の間違いかな?まあ何もそんなに頭ごなしに「間違い」だと言わなくても。庶民に解かりやすく説明するのに、先生が使った方便の可能性だってある。ま、何ごとも穏便に。

それでも、やっぱり「しぶき」と呼ぶのがいいですね。

2013年3月8日金曜日

【今日の雑学】 こけら落とし


東京の新歌舞伎場が新築され、まもなく「こけら落とし」興行がある。といって、ぼくが特に歌舞伎に熱い関心をもっているというわけではない。猿之助や勘三郎が役者盛りで亡くなったことには、本当に残念に思うけれど。

実をいうと、この歳になって「こけら落とし」の「こけら」とは何なのか知らないことに気づいたのです。みなさんご存知でしたか?ぼくも今まで「こけら」とは何なのかという疑問もを持ったこともなかった。

そこで辞書の助けを。

こけら落し
(新築、改築工事の最後に屋根や足組などの杮(こけら)を払い落としたところから)新築または改築された劇場で行なわれる初めての興行。
                         【日本国語大辞典】

こけらおとし:語源は「コケラ」(コケラブキの劇場)+落とし(落成式)です。・・・・

(こけらぶきとは)「コケラ(木片)+葺」です。コケラで葺いた屋根のことです。ちなみに、芝居小屋の屋根のコケラ葺の工事が済んで、コケラ(木のくず)を払い落とすのが、コケラオトシの本義です。                          【日本語源広辞典(ミネルヴァ書房)】

という解説なのだけれど、もう少し痒いところに手が届かない感じですね。そこでもう一足踏み込んで、

こけら
材木をけずる時にできる、木の細片。木を斧でけずった時の細片。けずりくず。木片。こっぱ。
                                    【日本国語大辞典】

日本語源大辞典(小学館)によると「こけら」にの語源には
①コケはコケヅリ(木削)の下略。ラは添えた辞(和訓栞・大言海)
②コギレ(木片)の転(語源を探る=田井信之)。
③コケは細小の義。ラは助詞(類聚名物考)
④コケラ(魚鱗)に似るところから(東雅・類聚名物考 他)
⑤コヘラ(木片)の義(言元梯)
⑥コケは苔、ラはハラフ(払)か。またコは木、ケラは削ラヌの意か。または、コは木、ケラは虫のケラに似ることからか(和句解)
⑦この葉が風に散る音のケラケラから(紫門和語類集)

ということですが、意味としては日本国語大辞典の説明が穏当なところでしょう。
まったく知らなかったなぁ。

ところで、この「こけら」にはちゃんと漢字がある。文頭の画像の上の字。辞書を引いているときには気がつかなかったが、「杮」(こけら)という字は「柿」(かき)とは別字なんですって。「柿=かき」の漢字のつくりは「なべぶた鍋蓋」に「巾」、「杮=こけら」のつくりのほうは、縦角が一本で貫かれていて市、鍋蓋ではではない。

ぼくは自分の粗雑さ注意散漫を恥じ入っています。このたびも、改めて生まれながらの我が悪い性癖に気づかされ、悔いることしきり。

だけどパソコンのフォントのサイズを上げても、どうも区別できない。見分けがつきません。

そこで、またまた辞書の力を借ります。

【新潮日本漢字辞典】の木部の四画「杮=こけら」の項目に「参考」として次のように記されている。
「杮[参考]「柿」(木部の5画)は別字。表外漢字字体表では両者を区別する意図が見られる。しかし、JISX0208の規格表の一九九七年版は、両者を同一字形とする見解を取っている」

なぁ~んだ。フォントを拡大しても区別がつかないわけだ。パソコンのほとんどのフォント(ほんの数種類を除いて)では同一文字としてあつかわれているか、「こけら」と打って変換しても、「?」で帰ってくる、つまり漢字の登録がないということですね。そんなのけしからんと思いません?ま、そこは落ち着いて気を取り直し、次の記事を読んでください。

 インターネット上の百科事典【ウィキペディア】の「こけら落とし」の項目から。

≪「杮(こけら)」という字は「柿(かき)」と同じに見えるが、「柿(かき)」は「木部五画(旁が「亠+巾」)」なのに対し、「杮(こけら)」は「木部四画(縦棒が繋がる)」である。しかし、過去の文献によれば、両者は明確には区別されておらず、例えば『康熙字典』では逆になっており、両方とも「柿(木部五画)」とするものや、両字は同じ字の別字体と説明するものもある。これを根拠にして、JIS規格では「柿(木部五画)」が両方の字を包摂するものとしている。これに対し、字典で区別されていないのは後の混同によるものであり、字義を考えれば「こけら」は「杮(木部四画)」で書くべきとする説もある。≫

ウム!なるほど。歴史的にも、用法がしっかり定まっているわけではないのですね。だけど、これはやはり何らかの取り決めをしなくては。

白川静博士の【字通】では、つくりの部分にあたる文字に関して、
縦一本棒の市(はい)は「帯から巾が垂れている形。その巾は蔽膝、礼装用のひざかけである」。
鍋蓋に巾の市(し)は「市の立つ標識の形。交易の行なわれる場所には高い標識を樹て、監督者が派遣された」
と記されている。

もともと意味の異なる文字から発生しているんですね。やはり使い分けをするべきではないでしょうか。

2013年2月17日日曜日

【今日の表現】


【今日の表現】 久々です!

 「『古人(いにしえびと)を思ふ』といふことがある。あれは何か、おつとりのんびりしてゐていい気持ちなものですね。あの行為、といふか、心の動き、といふか、それとも儀式のやうな関心といふか、あれはわたしの好きな遊びです。うん、遊びと呼ぶのがぴつたちかもしれませんね、あれは。・・(近代人近世人でもなく、中世人でも物足りなく)古代人がいい。」丸谷才一『歴史の書き方』(人魚はアカペラで歌ふ)より


 明け方六時半ごろ、京都は雪が降っていました。冬至から二か月近く過ぎて、この時間になると空はずいぶん明るい。特に今朝は雪雲がわずかに桃色に染まり、雪雲の上では朝焼けが拡がっているのが窺い知れます。山は鈍色(にびいろ)のシルエット。まことに水彩画の世界を目の当たりにしているようで、寒さを忘れて、しばし堪能させられました。

 日曜日とはいっても、この時間になれば車もとおる、人も歩く、電車も走る。郊外とはいえ山裾には家が犇めき、送電線が網の目のように空中にはりめぐらされているのが目に飛び込んでくる。けれど、山の姿、空のありようは何千年前と変わりはないでしょう。清少納言や紫式部の時代の人々、いや平安京が定まるずっと前の時代に、この盆地に生きていた人々も、このような二月の雪の夜明けを眺めていたに違いない。

 そんな事情で、ちょっと前に読んだ丸谷才一のエセーのこのひとくだりを思い出しました。