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2010年7月17日土曜日

白い雨と雷

「白い雨」。梅雨末期の雨をそういう表現をした人がいるらしい。「白い雨」ということばにあれこれ思いを巡らせているうちに、朝日新聞の「天声人語」先を越されてしまった。
http://www.asahi.com/paper/column20100715.html
それでもメゲないで!!

ほんとにこの梅雨末期の豪雨は雨筋も白いし、地面や建物にあたった雨粒が、飛沫となって、白いベールに包まれたような風景になる。100m先も見えない。ドシャ降り まさにバケツをひっくり返したような雨。雨音でラジオの音も聞こえないほど。幸いなことに、この借家の大矢さんが瓦屋なので、雨漏りの心配はない。(そのわりには床はブカブカだけれど)。各地で水の被害が出る。我が家の裏の岩倉川は、大丈夫だろうか?このあたりがいちばん堤防が低いところなのだ。

稲光! 京都の雷さんには名前が付いている。「丹波太郎」、北あるいは西からやって来る雷。「山城次郎」、南から来る。「比叡三郎(近江三郎)」。比叡山、大文字山、東山を越えて来る。今週の雷さんは、三郎さんのようだ。お兄ちゃんほど強いらしいが・・・・
夕立3日。うちのばあちゃんがいっていた。「雷が鳴ったし、もう梅雨明けや」。科学的な根拠はなく、経験則。それでももう梅雨が明けるという期待感がひろがる。

近年、気象予報では「梅雨明け」ということばをいわなくなった。「予想」も「宣言」もない。せいぜい「梅雨が明けたとみられる」とあとになって、こっそりというニュアンスでいうのみだ。はずれて痛いめをした「経験則」?

雷は建建造物や、背の高い木などの45度以内に居ると安全であるというはなしを聞いたことがある。だけど大木の傍は禁物。もしその木に落雷があると、巻き添えをくう。

安全いえば中学の頃、若い理科の先生がいっていた。台風の風のはなしである。台風の風向きは一定しいるから、風向きの反対側の窓を開けて眺めていても大丈夫であると。でもそれはしっかりした風邪の抜けない家の話だろう。我が家のようなあばら家では(大家さんが怒るかな?)とても大丈夫とはいえない。ましてや風の向きだって急変するかもしれない。台風の風向きだけでなく、世の中の風向きだって、ろくに読めていない。

2010年7月3日土曜日

八重甘茶さん

ずいぶん前から紫陽花の鉢が自宅にほしかった。それがやっと手に入った。

先週末(6月最後の週末)大阪の友人たちと総勢5人で、京丹後峰山の「天女の里」というキャンプ場でキャンプをした。キャンプといってもテントをはってするのではなく(実はテントで寝るのには、いささかトラウマがある)コテージを借りて自炊をするのだ。最近のキャンプ場のコテージは設備が良くて、エアコン、冷蔵庫、シャワー、風呂・・・今回はテレビまで備えられていた。(キャンプに来てまでテレビを見ようとは思わないが・・)

地元のスーパーや道の駅で買い物をして、できるだけ地元の食材を仕込む。そして自分たちで調理して食べる。これが安上がりで美味しいものが食べられる極意と知る。(大層かな?)

話を紫陽花に戻そう。そのキャンプの帰り道、京都丹波の道に駅で、山紫陽花の苗を見つけた。淡いブルーの好みのタイプだ! しかも値段が安い、¥250! 八重甘茶という品種だそうだ。 ふつう山紫陽花というとけっこういい値段で売られている。 苗だけでも¥600~¥1000。ちょっといい鉢に入っていると、¥1300から¥3000近くのものまである。もちろん品種によって貴重なものとかがあって、そういう品種のものは高いのだろうけれど、どちらかといえば、いやもともとぼくは植物を育てるのが下手なので、育てているあいだに枯らせてしまう確率だって相当高い。八重甘茶には申しわけないことだが、¥250というのは、ぼくとしては分相応というか、手を出しやすいのだ。迷わず買った。

ネットで育て方をいろいろ調べてみると、どうも花の衰える直前に花摘みをして、枝を剪定し、お礼の肥料をやるというのが「正道」らしい。いやその前に小さい窮屈そうなビニールの鉢に入っているのを、大きな鉢に移してやらねばならない。ここで実は迷った。せっかくきれいな花をつけているのに植え替えをして、枯らしてしまっては元も子もない。植物育ての下手なぼくには、そういうリスクが非常に高いのだ。それで花が衰えるまで、その小さな鉢のままで、花を楽しむことにした。これまた八重甘茶には申しわけないことだけれど、きっと八重甘茶さんは「やれやれ、えらいおっさんに買われたもんや」と思っているに違いない。

そんなことで、なんとか一週間花を愛でさせてもらった。八重甘茶さんありがとうね。ということで、やっと思い定め、今朝花摘み、植え替え、剪定をした。肥料もやった。おまけに剪定で伐った枝を別の鉢に五本ほど挿し木をした。すべてネットの教科書どおりに!(写真は花を摘まれる直前の八重甘茶さんです)

ところが、作業を終えたところで不吉なことを思い出した。ずいぶん前、まだ下京に住んでいたころのことだ。近所のおばさんが「手を嫌う」ということばがあるって。植物育成用語(俗信・俗語)にそういうのがあるらしい。どうもぼくの手は「嫌われている」のではないかと、思いあたるふしがある。何度か紫陽花の枝をパクってきて挿し木を試みたことがあるが、ことごとく失敗している。

とほほ、やれやれ。どういう結果になることかと、不安をかかえつつ、ふたつの紫陽花鉢を眺めている。