「9・11のあの出来事があって以来、一神教の本質について考えることが多くなっていた。その宗教はグローバリズムの見えない背骨をつくっている。一神教という宗教がなければ、おそらく資本主義というシステムは、いまあるような形をとって発達はしなかっただろう。人類はもっと別の形の資本主義を発達させていたはずなのである。ところが、キリスト教という一神教と一体になった資本主義は、大成功をおさめて、いまや地球のすべての場所を、自分のシステムに都合のよいようにつくりかえようとしている。
しかし、それにはげしく反抗する人々がいるのである。しかもそれは、同じ一神教であるイスラムを深く信仰している人たちだ。人類の全体が、好むと好まざるとにかかわらず、一神教のたどる宿命的な展開に巻きこまれてしまっている。」
中沢新一「アースダイバー」より
ローマ帝国皇帝、「大帝」つきで呼ばれるコンスタンティヌスが、キリスト教を公認して、自らも洗礼を受け改宗したところから、ローマ帝国皇帝は、ローマ市民から統治を委託された皇帝ではなくなり、神から統治を委託された皇帝になった。そして、ヨーロッパの中世はここから始まったという人もいる。
そして、西ローマ帝国が滅び、約150年後にマホメッドが、イスラムの布教を始める。
簡単にいってしまえば、この時代から16世紀までは、地中海とその周辺を中心に、それ以降はもっとグローバルなスケールで、このふたつの「一神教」が対立を続けていることになる。この間キリスト教側も、イスラム教側も、内部争いがあったり、経済事情があったりして、波のうねりの大小、あるいは濃淡のようなものがあったにせよ、お互いに相手の信仰する「神」を認めないのだから、対立は消えないで今日まで来たのは当然のことなのだ。
「まあまあ、そういわんと、仲良うしはったら・・・」というわけにはいかないのだろう。
『ローマ人の物語』の著者、塩野七生氏のことばを借りれば、「非宗教的な立場からすれば『どっちもどっち』と言うしかない」、理由やきっかけで衝突が繰り返されているようにしか思えないのだけれど。
0 件のコメント:
コメントを投稿