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2012年2月24日金曜日

【京の地名】 皀莢町

この町名、こう読むかご存知だろうか。「さいかちちょう」と読む。京都市上京区の西堀川通上長者町あたりの町名だ。この町の近くに住む人でなければ辞書を引かずに読める人はそう多くはないはずだ。

京都に限らず地名というものは独特の読み方があり、漢字で表記されると正確に読めないものがごまんとある。その中には発音に無理やり漢字をあてたもの、誤読がそのまま地名になったもの、合併で元の地名から一文字づつを取って組み合わせて意味不明になってしまったものなどとさまざまだが、この「さいかちちょう」という町名ははあて字でもなく誤読でもなく、「皀莢=さいかち」という樹木の名前が町名になったものである。

『角川日本地名大辞典』によると、江戸期から使われ出した町名であり、皀莢(さいかしとも読む)の大木があったことが地名の由来であると記されている。江戸時代の様々の記録から、「才かし町」、「ざいもく丁」、「さいり町」と呼ばれたりしていたこともあるようだ。儒学者藤原惺窩が一時居住していたと伝えられている。

それでは「皀莢」あるいは「さいかし」とはどんな植物だろうか?じつはぼくもこれがそうだと胸を張っていえないのである。まだ見たこともないのか、見ていても気がついていないかも知れない。


 そこで京都府立植物園にあるかどうか調べてみた。あるある。「あじさい園」の北側にあるというので、早速出かけて写真におさめたのがこれ。前に説明板があって、以前あった皀莢の大木が枯れたのだけれど、その枯れた大木の根元から二世が生えてきたと書いてある。生命力のある木らしい。

  写真でご覧になってわかるように、落葉樹なので、冬に眺めていてもなんの特徴も発見できない。あえていえば、若い木なので木肌がきれいなことと、幹に小さなトゲがあるのが見えることのみである。初夏には黄色い花を付けるらしいから、見に行かれるならそのころをお薦めする。

 亀岡の大井川沿いにも皀莢の大木があるということだ。大井川の土堤を護るためにつくられたということである。ここでは、もっと昔からど根性ぶりが認められていたということでだ。初夏には是非お目にかかりたいものである。

 『新牧野日本日本植物圖鑑』によると、マメ科の植物で、「落葉高木、枝や幹には分岐しているとげが多い。葉は互生していて短い葉柄があり、1~2回の偶数羽状複葉で葉軸には短毛がまばらに生える。小葉は多数つき、長楕円形または卵状楕円形、左右やや不対称であり、ふちはほとんど全緑、あるいは多少波状、またはきょ歯をもつ。雌花、雄花、および両性花を同一の株上に生じ、みな総状花序を作る。夏には淡黄色色の小花をつける。がくは4裂し、花弁は4、雄花には8本の雄しべがある。花が終ってから長さ30cm余りの平たい豆果を生じ、ゆがんで真直ぐではない。中に平たい種子が生じる。新葉は食用になり、豆果は石鹸がなかった時代に物を洗うのに用いた。」ただ、漢字で皀莢と書く植物は、中国では別の植物ということである。この和名は「古名の西海子(サイカイシ)の転流したもの」、「したがってサイカシ、またはサイカイジュともいう」という説明がなされている。


 この圖鑑の牧野富太郎博士は別の著書で、植物の和名はカタカナかひらがなにすべきであると主張しておられる。そうでないと、漢字が同じでも、中国と日本では別の植物というケースが非常に多いからだということである。そういえば動物名でも中国で鮎と書く魚は、日本の鯰だと聞いたことがある。だけどぼくのようのぼんくら頭の持ち主にはカタカナで書かれた植物名はとんと覚えられないのだけれど・・・困ったもんだ。

 この植物は薬用としても利用される。中医学では、皀莢は覚醒の薬と処方され、これがこの生薬の主たる効能ということである。これも中国での皀莢なのか日本で皀莢といわれているものなのかはっきりしない。

 ただ日本では皀莢の熟した莢(さや)を天日でよく乾かしたものを「和皀莢」(わそうきょう)といい、去痰、すなわち痰切りに効能がある。刺のみを乾燥させたものを皀角刺(そうかくし)といい、また種子に熱湯を通して天日で乾燥させたものを皀角子(そうかくし)といって、腫ものの治療に用いるということだ。

 では御免!

2012年2月13日月曜日

【今日のお酒】国産ワイン

 基本的には焼酎党なのだけれど、しばしばワインも美味しくいただく。なかでも近ごろ頻繁に求めるのが写真の国産ワインである。価格は一本¥525、コンビニや食品スーパーなどで簡単に手に入る銘柄である。裏ラベルにはミディアムボディーと印刷されているが、味は若く、超をつけていいほどのライトボディー。酸化防止剤が入っていないので、酔い心地、酔いざめ、ともに爽快感がある。とくに赤は、開栓後30・40分あたりの、ちょっと渋みの出てくるころが絶好調となる。


ぼくの20代ころの国産ワインは、酸味がつよくてこく・奥行きがなくて、たとえ値段が安くてもなかなか手が伸びなかったのだけれど、20年くらい前からだろうか、飲みやすく、味も良くなったように思う。


そんな「回想」をしていたところへ、わが開高健先生がエセー集の中に、国産ワインについて言及しておられるのに出会った。前回のブログ同様、1980年前後のものである。


 「冷静公平にいって全般的に水準が上昇している。十年前や十五年前にくらべると、お話にならないくらい上昇している。土質、品質、肥料、その他いろいろの点でひそやかな苦闘がおこなわれたものと推察したい。わが国では湿気と雨という二大敵があるので、ぶどう酒の品質もおのずから超克しようのない限界を負わされているわけだが、その枠のなかで精いっぱいの努力がされている。
・・・・・
 それにしてもロマネ・コンティ一本に二十万円という値段をつける近頃の風潮はひどいものである。ロマネ・コンティはまさしく≪ヴレ・ド・ブレ≫の逸品であるけれど、こういう待遇をしてはいけない。これは尊敬しているように見えながらじつは酒を侮辱し、いやしめるものである。むしろ背後に無知を感じたくなる。買うやつがいるからこんなことをするのだろうが、どちらもどちら、眼にあまる。あいた口がふさがらないので、その口で国産ぶどう酒を飲むことにする。」

      『開口一番 近頃の日本のぶどう酒は・・・』


 少しおことわりしておくと、わが愛飲の「R&B」の葡萄はチリ産である。20年くらい前、滋賀の葡萄の栽培地域で、ワイナリーを開いた人に聞いた話だが、この地の葡萄で酒にするのはとてもむずかしくらしく、当初はフランスから果実を輸入していたそうである。現在どんなことになっているのか知らないけれど、開高先生のおっしゃるように、純国産ワインを醸すのには、いくつものハードルをクリアしなければならないということになりそうである。

2012年2月9日木曜日

【今日のお酒】 日本酒


 ぼくは、いわゆる‶酒飲み〝。30年以上毎日飲まなかった記憶がない。立派なアルコール依存症であるという人もいる。ぼくの爺さんがは朝昼夜と食事どきに飲み、それでも早朝から商売にせいをだして働き、83歳で亡くなった。亡くなる直前まで、この生活習慣を‶守った〝。

 とても爺さんの真似はできないが、毎日黄昏どきになると飲みたくなって、仕事の締めくくりももどかしく、集中力も落ちてくるのがわかる。これもDNAか? が、お酒のおかげで‶早寝早起き〝という生活習慣を永年続けることができている。飲みすぎて、酒が体の中にのこっていることも、しばしばありますが・・・これはハズカシ!

 そこで、今日は日本酒。右の写真のパックは何と2ℓ¥990。アルコール度数が少しひくいので、酒税が安いのかな? 初めて彼(彼女)に会ったときは、料理酒を探していた。スーパーマーケットで売っているいわゆる料理酒は安いけれど、塩や甘味料・・いっぱい!こんなの使いたくない!、で発見したのが清酒正宗。極上だとはいえなけれど、軽妙で、クールです。

 酒は燗で飲めという爺さんのおことばでしたが・・・
 
 日本酒は飲むと、次の日が体が重い、やはり爺さんの遺言どおり、燗で飲むべきか。

 そこで開高健の日本酒エッセーです。これは1980年代に書かれたエッセーです。確かに古いですが、


 「ラムをあたためたのを‶グロッグ〝、ウィスキーをあたためたのを‶ホット・トディー〝、ぶどう酒をあたためたのを‶ヴァン・キュイ〝(または‶ヴァン・ショウ)という。いずれも冬の夜のたのしみであるが、今日は税務署へいったあとだから風邪をひきそうだとか、三日つづけて女房の顔を見たので何だかゾクゾクするとか、そういったときの飲みものである。いつもそうして飲む酒ではない。
 あたためてのむとその本質のうまさが登場し、しじゅうそうして飲まれる酒といえば、日本酒か紹興酒ぐらいしか思いだせない。・・・日本酒世界でも珍しい酒であり、稀なものなのであると思えてくるのである。ところが昨今(または最近三十数年の)、この貴重な日本酒の味が、手におえない堕落ぶりである。
 ・・・たまたま田舎を歩いていて、サラサラとした辛口の地酒に出会うと、・・・拍手をしたくなる。お酒呑みなら大げさないかただとはけっしてお思いになるまいと思う。そして・・・刺を通じて酒倉を見せてもらいにでかけたりすることがある。この甘ったるい時代の酒流にのらないでひっそりと、しかし堂々と背を向けていらっしゃるらしいその酒造家の顔をみたくなり会ってみたくなるのである。

 ・・・いったいこういうクド口がはびこるようになったのは米が不足した戦時中に‶サンバイジョウゾウ〝(けたクソわるいのでカタカナで書かせて頂くが――)という苦肉を編みだして以来のことで、永い永いこの国の酒史のなかではお話にならない浅薄さに酒造家がアグラをかいているからなのである。そういうクド口を黙って飲んでいる酒徒にも責任があるが、A級戦犯はもっぱら酒造家にある。
 香水、料理、お菓子、歯みがき、石鹸、これら官能品で甘いものは幼稚な段階にあるものといいたい。いまの日本酒は酒品をいえば幼稚園の味である。どんな本を読んでいるか言ってごらん、そしたらあなたがわかる。これは酒にも通ずることである。大きな声をだして飲んでいますと答えられるサケをつくっていただきたいものである。


      『開口一番 いいサケ、大きな声』

あと何日かシリーズ続きます。 よろしく!

2012年2月7日火曜日

【今日の駄作】


今朝は暖かな雨、数匹の猫が大暴れ。
猫の恋、もつれたか

    針色の雨落ちて京の春立ぬ

    明け方の猫大争乱で春立ぬ


         自駄作