この町名、こう読むかご存知だろうか。「さいかちちょう」と読む。京都市上京区の西堀川通上長者町あたりの町名だ。この町の近くに住む人でなければ辞書を引かずに読める人はそう多くはないはずだ。
京都に限らず地名というものは独特の読み方があり、漢字で表記されると正確に読めないものがごまんとある。その中には発音に無理やり漢字をあてたもの、誤読がそのまま地名になったもの、合併で元の地名から一文字づつを取って組み合わせて意味不明になってしまったものなどとさまざまだが、この「さいかちちょう」という町名ははあて字でもなく誤読でもなく、「皀莢=さいかち」という樹木の名前が町名になったものである。
『角川日本地名大辞典』によると、江戸期から使われ出した町名であり、皀莢(さいかしとも読む)の大木があったことが地名の由来であると記されている。江戸時代の様々の記録から、「才かし町」、「ざいもく丁」、「さいり町」と呼ばれたりしていたこともあるようだ。儒学者藤原惺窩が一時居住していたと伝えられている。
それでは「皀莢」あるいは「さいかし」とはどんな植物だろうか?じつはぼくもこれがそうだと胸を張っていえないのである。まだ見たこともないのか、見ていても気がついていないかも知れない。
そこで京都府立植物園にあるかどうか調べてみた。あるある。「あじさい園」の北側にあるというので、早速出かけて写真におさめたのがこれ。前に説明板があって、以前あった皀莢の大木が枯れたのだけれど、その枯れた大木の根元から二世が生えてきたと書いてある。生命力のある木らしい。
写真でご覧になってわかるように、落葉樹なので、冬に眺めていてもなんの特徴も発見できない。あえていえば、若い木なので木肌がきれいなことと、幹に小さなトゲがあるのが見えることのみである。初夏には黄色い花を付けるらしいから、見に行かれるならそのころをお薦めする。
亀岡の大井川沿いにも皀莢の大木があるということだ。大井川の土堤を護るためにつくられたということである。ここでは、もっと昔からど根性ぶりが認められていたということでだ。初夏には是非お目にかかりたいものである。
亀岡の大井川沿いにも皀莢の大木があるということだ。大井川の土堤を護るためにつくられたということである。ここでは、もっと昔からど根性ぶりが認められていたということでだ。初夏には是非お目にかかりたいものである。
『新牧野日本日本植物圖鑑』によると、マメ科の植物で、「落葉高木、枝や幹には分岐しているとげが多い。葉は互生していて短い葉柄があり、1~2回の偶数羽状複葉で葉軸には短毛がまばらに生える。小葉は多数つき、長楕円形または卵状楕円形、左右やや不対称であり、ふちはほとんど全緑、あるいは多少波状、またはきょ歯をもつ。雌花、雄花、および両性花を同一の株上に生じ、みな総状花序を作る。夏には淡黄色色の小花をつける。がくは4裂し、花弁は4、雄花には8本の雄しべがある。花が終ってから長さ30cm余りの平たい豆果を生じ、ゆがんで真直ぐではない。中に平たい種子が生じる。新葉は食用になり、豆果は石鹸がなかった時代に物を洗うのに用いた。」ただ、漢字で皀莢と書く植物は、中国では別の植物ということである。この和名は「古名の西海子(サイカイシ)の転流したもの」、「したがってサイカシ、またはサイカイジュともいう」という説明がなされている。
この圖鑑の牧野富太郎博士は別の著書で、植物の和名はカタカナかひらがなにすべきであると主張しておられる。そうでないと、漢字が同じでも、中国と日本では別の植物というケースが非常に多いからだということである。そういえば動物名でも中国で鮎と書く魚は、日本の鯰だと聞いたことがある。だけどぼくのようのぼんくら頭の持ち主にはカタカナで書かれた植物名はとんと覚えられないのだけれど・・・困ったもんだ。
この植物は薬用としても利用される。中医学では、皀莢は覚醒の薬と処方され、これがこの生薬の主たる効能ということである。これも中国での皀莢なのか日本で皀莢といわれているものなのかはっきりしない。
ただ日本では皀莢の熟した莢(さや)を天日でよく乾かしたものを「和皀莢」(わそうきょう)といい、去痰、すなわち痰切りに効能がある。刺のみを乾燥させたものを皀角刺(そうかくし)といい、また種子に熱湯を通して天日で乾燥させたものを皀角子(そうかくし)といって、腫ものの治療に用いるということだ。
では御免!
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