「これが甲斐駒の花崗岩で、岩の表面はなめらかで、一部、苔がむしていた。(中略)杉の老木の横から滝が落ちてくる。(中略)白糸のように清水がしたたりおちている。
山の霊気が強く、全身がぶるっと震えた。
手を出して清水を口に含むとクッとくる冷たさがあり、「あゝ」と思わず溜め息が出た。これが、ぼくが命の源泉としている南アルプスの天然水なのである。
いつも飲んでいるペットボトルと比較すると、わずかに苔の匂いがあった。水がぴちぴちと生きているのであった。しばらくすると、水の甘みがよびもどされ、舌の上を森の風が吹いていった。」
―――――嵐山光三郎『白州の水でモルトの夏開く-2000年7月』より
うまい水に出会うと、ほんとうに幸せな気分になれる。とくにぼくのような「酒飲み」には、うまい水には幾重にも恩恵を受けていることになる。酒そのものの源泉で、名水で出来た酒は細胞に沁みわたる。水割りの伴になった名水は体の中に温かい春の風が吹く。名水で炊いた飯はのどごしがあまい。名水で淹れた茶やコーヒーには体がシャンと反応する。名水の風呂はあたりが柔らかで、あたたまる。数え上げたらキリがない。
この列島はは気候と地形の恵みがあり、いたるところでうまい水に出会える。「**の水」と銘打ったペットボトル入りの名水がどこででも買える。ほんとうに贅沢にいい水を使うことができるのだ。
ところが最近、こういった名水の水源地に中国の投資家の手が伸び始めたという。投機の対象にならなければと、取り越し苦労をしている。そんな輩に売ってはいけない。
彼の国の水事情は詳しく知らないが、衛生の要素を含めた「質」、人口に対する「量」共に非常に悪い状態にあると聞く。そればかりか、世界的にも水は不足している。世界の13%の人々がきれいな水が手に入らないということだから、水をひとり占めするのはよくない。うまい水をできるだけ公平に飲んでもらうのがいい。
ただ、足りないからといって、投機の対象になるのはいけない。それこそ「独り占め」だ。今や食料が投機の対象になっており、そのうち水もということになるのだろうか、「水ビジネス」ということば、マスコミでも聞かれるくらいだから。
地球は水の惑星といわれるように、大量の水が地上・地下にあって、それが生命を発生させ、育んでいる。けれど、水の大部分は海水であり、淡水は2.5%、そのうちわれわれが使える真水は0.01%にすぎない。
海水を真水にかえる技術はどのあたりまですすんでいるのだろう。物質を加えて新しい物質を作るよりも、特定の物質を取り除いて新しい物質にするほうが、はるかにむずかしいであろうことは、素人頭で考えてもわかる。海水の一部を今の真水の量の倍にかえてしまったら、生態系はバランスを失ってしまうのだろうか?
もうすぐ(2012年3月14日に)京都水族館なるものがオープンする。この水族館は真水を海水にかえて大量に水を使うということだ。ずいぶんエネルギーも消費するだろうし、地球全体の水事情を考えれば、海水を真水にかえるよりは簡単だとしても、こんな反エコロジー的の施設はないのではと思う。ぼくは個人的にはこんなところに水族館など要らないと思っている。むしろ、あのスペースを公園のままにしておいてほしかった。ただでさえ、京都のあの地域は公園の少ないところである。
あの公園の東の入口に、春一番に咲く「熱海寒桜」があったのだが、どこかへ行ってしまったのが悔しくてならない。
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「水割りは、まず、グラスの縁まで氷を入れ、氷の壁ぞいにトロトロとウィスキーをそそぎ、マドラーで十三回転半させ、また氷を加え、最後にミネラルウォーターをそそいで三回転半かきまぜるのがいいらしい」
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