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2017年5月17日水曜日

金糸梅と未央柳 (きんしばいとびょうやなぎ)

六月になると町の中のあちこちに黄色の花が咲き乱れます。この花に種類があること人に教えられるまで知りませんでした。なるほど、金糸梅と未央柳では花の形が微妙に違う。初心者とはいえ大失敗です。写真の上が金糸梅で下が未央柳。同じオトギリソウ科オトギリソウ属の半落葉小低木の花ですが、よく観察すると異なる2種類の木々であることが分かるでしょう。


金芝梅は中国原産。  日本への渡来は   1760年頃。 黄色が鮮やか。  梅雨時に咲き、
雨に映える。 いっぱいある黄色のおしべを  「金の糸」に、  五弁の花を「梅」にたとえた。



未央柳は 悪魔よけの像の上にこの花が 置かれていたことに 由来するらしい。中国原産で300年くらい前に日本にやって来た。
澄んだ黄色の花をいっぱい咲かせる。
長いおしべがいっぱいある (花から、はみ出ている)。別名 「美女柳(びじょやなぎ)」 「美容柳(びようやなぎ)」 「金線海棠(きんせんかいどう)」
金糸梅との比較 。 花びらは大きい。  花びらの間隔があいている。  おしべが長い。  実は細長い。赤くはならない。

ま、これくらいで区別できるでしょう。

2017年4月18日火曜日

えごのき

「知左(ちさ)の花   咲ける盛りに   愛(は)しきよし  
その妻の子と   朝夕に 笑みみ笑まずも」   (知左=エゴノキ)    万葉集 大伴家持

皆さんは<えごのき>という名前の木をご存知でしょうか。ギリシャの古典かそれ相当の語源をもってこんな名前を付けられたのと思っていたら、なんとこの木の実の川は有毒で、魚を麻痺させる毒があり、食べたときにのどを刺激して酷い(=えぐい)ことからこんな名前になったらしいです。小ぶりであるのに白い可憐な花の木から想像も付かない名前です。
「知左の花」「売子の木」という字もあてがうことあるが。一般的ではないようです。

開花は毎年五月の上旬。北山に行くとよく見られますが、街中で私の目に止まったのは、京都駅の近く「京都市大学の街交流センター」の前に植えられています。


2017年3月15日水曜日

三春滝桜

 宇治川の北側に、小さなお寺である『恵心院』というお寺があります。当寺のはじまりは、弘仁12年(821)に真言宗の開祖弘法大師によって開かれた古刹龍泉寺と伝えられていますが。この寺その後廃れたのですが、やがて、「往生要集」の編者として名高い僧都源信によって再興され、『恵心院』と称するようになったと伝えられています。
 源信は、宇治川に入水した源氏物語宇治十帖のヒロイン浮舟を助け、新たな道を歩ませることとなった横川(よこわ)の僧都のモデルともいわれています。


お寺の歴史や調べていただくとして、年中花にかこまれて心持のいいお寺ですが、そのかに福島県の三春町おくられた桜があります。福島県田村郡三春町にある樹齢1000年を超える古木の子木。滝のように枝を垂らす鮮やかなエドヒガン系ベニシダレザクラ。親木は日本三大桜の一つで国の天然記念物である。その子樹であるらしい。地震よりはるか前にやってきてる。見ごろは染井吉野よりちょっと遅め。染井吉野に乗り遅れた人にはお勧めです。」

2017年2月19日日曜日

大犬のフグリ

       寝ころべば おおいぬふぐり 花盛り    
               春の野原の  暖かさかな 
                                              山帰来

「うんこ=キタナイもの、排せつされるべき・・・・・・という一方的な思い込みや、価値観の押し付けにだれかのは異議申し立てをしている。人間の側から考えれば。そうした図式も成り立つのかも知れないけれど、自然界を広く見渡せば、誰かの排出物は、ほかの誰かの栄養物であったりする。僕たちはいらないものを出しているともいえる言えるともいえるけれども、ほかの誰かに必要な者を与えているともいえるのだ。」

これは盛口満(沖縄大学教授)新樹社『雑草が面白い』の一節。本当に変な名前に閉口してしまいます。しかもこの草何食わぬ顔して咲いているが、明治以降の移入物。参ってしまいます。別名に瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳。このほうがいいですね。
 

2017年1月19日木曜日

姫踊子草

一寸早いかな。でも、二月に咲いているところがあるいうので二月の花に選びましょう。


 原産はもともとヨーロッパ地方。二・三月頃空地では 必ずといっていいほど見かける。ヨーロッパが原産で、東アジアや北アメリカなど日本以外でも広く帰化している。日本では明治時代の中ごろの発見され場所は東京だそうである。

インターネットのブログ「花よもやま話」では、
「ヒメオドリコソウ(姫踊子草)の花からは残念だが踊り子は想像できず、もしオドリコソウ(踊子草)という先輩の存在がなかったら、ヒメオドリコソウ(姫踊子草)などという優雅な名前は頂けなかったかも知れないと思ったりする」*
と書いてあるが、そんなことはないと思う。とても立派な踊り子さんたちである。

春になるとと道端や空地、畑などのありふれた雑草として知られ群生している。画像ヒメオドリコソウ(姫踊子草)は団結して集団行動である。

先のブログによると、「幼稚園の園児の遊戯や、毎年八月に山形市で行われる菅笠に赤い花飾りをつけた花笠を手にし、『花笠音頭』にあわせて街を踊り練り歩く『花笠踊り』をも連想させて、赤紫色の絨緞を敷き詰めたように咲く本格的な春への夢が広がる。」ということである。

花言葉は愛嬌である。

*(http://plumkiw948.at.webry.info/201301/article_4.html)

2016年11月18日金曜日

ゆず 柚子


人棲まぬ隣家の柚子を仰ぎけり     横光利一

十一月になって急に冷え込んできました、そろそろ
鍋が恋しい季節ですね。そこで欠かせないのが「ゆず」。柚子の特産とされている地方はたくさんあるが、京都・水尾もそのひとづ。愛宕山の山肌に40個ばかりの家が張り付くように佇んでいる。水尾は「水がきれい」という意味でもある。

特に柚子風呂は「柚子ばかりのいえ風呂は、聖武天皇の時代に民間から始まり、生柚子を半分に切り、それを木綿袋に入れて風呂に浮かせるものです。昼間が一年で一番短い「冬至(とうじ)」に柚子風呂に入ると、その一年は病気知らずといわれます。風呂いっぱいに広がる柚子の香りに気分も爽快、あがった後の体にはほのかに爽やかな柚子の香りが残ります。」(わかさ生活)

ところで、ここ水尾は清和天皇(850-880)の陵の地でもある。「平安時代前清和天皇は二十七歳で陽成天皇に譲位した後、三十歳の時に仏道修行のために近畿各地を回り、その最後に水尾の山寺に入った。清和天皇は水尾の地を終焉の地と考え、三十一歳の時に洛東の円覚寺で亡くなった。遺骨は遺詔(遺言)によって水尾の水尾山寺に葬られ、清和天皇水尾山陵(みずのおやまのみささぎ)は集落から水尾川を渡って対岸にある清和山の中腹に設けられている。清和天皇を祭神とする清和天皇社は水尾の氏神であり、境内には摂社として四所神社が祀られている」(Wikipedia)ということだが、果たして、前から清和天皇と柚子の関係はいかに?

2016年10月22日土曜日

公孫樹Ⅱ

前の回でもいったかな、この季節に公孫樹は美しい彩をそえます。暗い街にスウィッチが入ったみたいだ。ちょっとダブることがあるかも知れませんが、この間読んだ本に面白いことが書いあったので、もう一度書きます。

 本のタイトルは『植物和名の語源 深津正 (八坂書房)』。

狂言でないは麻布の逆銀杏

親鸞が麻布がおった枝ものが、そのまま生きついたと言われるの公孫樹。中村座のなった公孫樹で、それらの因縁を結ぶは堺町。それを結ぶ着けられたの上の句。

公孫樹は貝原益軒が「葉が一枚だから一葉の意味である」と解釈して以来、江戸時代の学者がこの説を受けれたが、これも幕末の音韻学者黒川春村がこの意見にいちゃもんを付けた。

新村出や『大辞言』の主張する意見もある。
さあ、あなたはどれを取る・・・・・