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2012年1月30日月曜日

ビートルズ ぼくのハード・デイズ・ナイト


 今朝も雪がちらつく。午前5時過ぎから、週三回のジョギング開始。こういう冷たい朝は、冷たさにまともに向いあうより、冷たさから思考をそらして、ほかのことを考えてみるのも、ちょっとした工夫である。

 今朝は先日読んだ、池澤夏樹がビートルズについて書いていたエッセーのことが頭に浮かんだ。そのことを頭の中で反芻している内に、冷たさに対する意識は遠のいていく。


 「彼等(ビートルズ)はおそろしく誠実だった。一つのジェネレーションが彼等によって誠実な生きかたというものを習得した。人が毎日暮らしていて遭遇するいろいろな状況に対して取るべき態度を彼等は教えてくれた。歌だけでなく、たとえばエリザベス女王についてどう思うかと問われて、”Oh, she's O.K."などとあっさり答える彼等の姿勢そのものがまさに誠実なメッセージだった。この点を理解できない人間には結局彼らの魅力はわからなかったと言ってよいだろう。」

 「キャロル・キングが歌いかける相手はやはりアメリカのインテリ女性だろうし、ボブ・ディランの歌も多少ともヒップな連中にしか通用しない。ミック・ジャガーには解放感はあっても現実感がない。ビートルズがあれほど成功したのは彼等の星辰活動の領域が広く、彼等の歌の世界に入口が沢山あったからだろう。」

                   池澤夏樹『ア・ハード・デイズ・ナイト』

 
 ぼくは、ビートルズの登場に衝撃を受けた記憶がない。今もビートルズは嫌いではないし、好きな曲もたくさんある。それでも、どちらかというと、ミックジャガー=ローリングストーンズやボブ・ディランのほうが好きだ。

 冷たい空気の中で、意識は堂々巡り。体が少し温まってくる。
 
 結局ぼくは「この点を理解できない人間」であり、「結局彼らの魅力はわからなかった」のだろう。残念ながら。
 
 それは、不誠実な生き方しかしていないということなのだろうと、居直ってみたりする。

 ここまで、思いが至ったところで、東の空が白み、ブルーが拡がりはじめた。朝はこの時間がいちばん冷たい。

2012年1月28日土曜日

【きのうの雑学】



 専門の研究者が解明したことも、素人のぼくたちが知識として得ても、研究者には失礼ながら、雑学ということになる。

 昨日(2012年1月27日)の朝日新聞29面に掲載されていた記事。大阪市立大チームが、ハエトリグモ(どんな蜘蛛か知らない)は標的の蝿との距離をピンボケ度合で計っているという研究結果を発表した。これは最新のデジカメにも使われている「技術」だということだ。狙った蝿がどのくらいぼけて見えるかで距離を知り、ジャンプして蝿をとらえるということらしい。距離が遠い程小さくくっきり、近いほど大きくぼやけて映る。

 これって老眼と同じだね。そういえば最近老眼が進み、ちょっとピントが合いにくくなってきた。眼鏡を変えるかな。

 ピンボケの頭でピンボケ行動の毎日の人生。そういうぼくには、朗報である。ピンボケをうまく利用する方法がきっとあるような気にさせてくれる。

2012年1月26日木曜日

【今日の表現】


寒い中、ちょっと暖かく(少し背筋が寒くなる)別世界を。


開高健『君よ知るや、南の国--眼ある花々』

「うるんだ亜熱帯の黄昏空を巨大な夕陽がソテツやヤシの林のかなたに沈んでいき、空には真紅、紫、金、紺青、ありとあらゆる光彩が、いちめんに火と血を流したようななかで輝き、巨大な青銅盤を一撃したあとのこだまのようなものがあたりにたゆたっている。謙虚な、大きい、つぶやくような優しさが土や木にただよう。」

「私はパリを経由して(ベトナムへ)きたので釣竿を持っていた。バナナ島は最前線中の最前線で、すぐ眼のまえの対岸が反政府地区であった。生きるか死ぬかの闘争をしている場所へ釣竿など持っていくのはいかにも不謹慎な気がしたが、いってみると、たいそう歓迎された。(中略)第一回にこの国にきたとき坊さんに日ノ丸の旗にヴェトナム語で『私ハ日本人ノ新聞記者デス。ドウゾ助ケテ頂戴』と書いてもらったのを持って歩いたものだが、それを見たときのヴェトナム人の顔とバナナ島の人びとの顔をくらべてみると、日ノ丸よりも釣竿のほうがはるかにあたたかく、まったく無条件でうけ入れられたといいたい。

「爆弾や砲弾はどこへとびこむかわからないので機関銃弾よりおそろしかった。衝撃にたまりかねて小屋のそとへとびだしてみるが、どこへかくれていいかわからず、どこへかくれても効果はおなじであるような気がするので、闇のなかで思わずたちすくんでしまう。すると、水ぎわの木に何千匹とも何万匹とも数知れぬホタルがむらがっている。ここのホタルは一匹一匹が明滅するのではなく、何万匹もの大軍団がいっせいに輝きはじめ、それがしばらくつづいてから、ふと、ある瞬間、いっせいに消えてしまうのである。(中略)蒼白く輝き、それは何万もの大群集の歓声でであるはずだが何の物音もしない。光輝がふっときえると、その穴へ闇がなだれこむ。

 それは太古の夜の花である

すばらしい表現力です。

2012年1月24日火曜日

冷たい朝、美しい朝

冷たい朝、吉田山から西を望みて

<大寒の雪雲かむる愛宕山
      朝焼け燦と

         青さぎの声>  自作のお粗末


【今日の雑学】


現在日本最古とされる漆は8千以上前のもので、中国より千年古い。(宮代栄一 『朝日新聞』文化面)

2012年1月22日日曜日

寒の雨

寒の雨。暖かい。

<寒の雨 Facebookは 賑わへり

繋がりたくもあり面倒でもあり> 自作


【今日の雑学】

「冷たい」語源は「爪痛い」。昔(いつの頃か不明)は指先全体を「爪」と云った。
           
           物知りの元は『天声人語』

2012年1月21日土曜日

【今日の表現】





「夕刻は猫の帰りを待ち、朝昼には干潮を待つ。待つことに慣れてしまうと、闇夜が何日続こうが苦痛ではなくなる。月は出るのだ、いつか。来ない男やまだ出会えない男を待つよりも確実に・・・」

「しかし、歌う者がいる限り歌は決して老いることはないのだ。」

       『海松』稲葉真弓



「ひらがなはやさしい。易しいだけでなく、優しい。」

      『天声人語』朝日新聞

2012年1月5日木曜日

私の上に降る雪は・・・

<私の上に降る雪は 真綿のやうでありました>

 また雪が降った。今朝起きると、屋根に2㎝ばかりつもっている。この冬二度目の積雪。昨日の午後急に冷たい強風が吹き出したと思ったら、白いものがちらつきだした。夜、帰りの中のバスの中から、暗くなった窓外を眺めていると、北へ上るにつれて、雪の降る模様が濃密になる。自宅のある岩倉バスを降りたときはすでに雪は積もりかけていた。

 京都の町は北に上がるほどどんどん気温が下がり、市内中心部と岩倉とでは、3度くらいの差があるといわれるけれど、ぼくにはもっと温度差があるように思える。夏は窓を開けていれば、何とかエアコンなしで過せるが、冬は「じんじん」という音が聞えるくらい冷える。

 それでも京都の雪はみやびやか。華麗に優しく降る。20代のころ彦根に3年余り住んでいた。ぼくの雪体験としては、その期間がいちばん厳しかった。井上陽水の「氷の世界」というアルバムがリリースされたころ。この歌が雪を引っぱってきたのかと思うくらい、毎日雪が降りしきった。雪が小休止しても、雪が凍って町全体が冷凍庫になる。自転車はいうにおよばず、歩いていても滑る。

 めげそうになっているぼくに、会社の上司は今年は「雪が多いんや」と気慰めをいってくれたが、次の年も、その次の年も同じだった。あの人、今どうしてるかな? こんなに寒い所にどういうわけがあって人が住むようになったのかと思ったものだ。

 昨夜は、「真綿のやうに」降る雪を眺めながら思い出したことがある。中学校の一年生のときの担任の先生が、島根の出身だった。その先生は、「山陰では屋根に降る音が家の中に聞こえる」といっていた。

<私の上に降る雪は いとしめやかになりました……>