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2012年1月21日土曜日

【今日の表現】





「夕刻は猫の帰りを待ち、朝昼には干潮を待つ。待つことに慣れてしまうと、闇夜が何日続こうが苦痛ではなくなる。月は出るのだ、いつか。来ない男やまだ出会えない男を待つよりも確実に・・・」

「しかし、歌う者がいる限り歌は決して老いることはないのだ。」

       『海松』稲葉真弓



「ひらがなはやさしい。易しいだけでなく、優しい。」

      『天声人語』朝日新聞

2012年1月5日木曜日

私の上に降る雪は・・・

<私の上に降る雪は 真綿のやうでありました>

 また雪が降った。今朝起きると、屋根に2㎝ばかりつもっている。この冬二度目の積雪。昨日の午後急に冷たい強風が吹き出したと思ったら、白いものがちらつきだした。夜、帰りの中のバスの中から、暗くなった窓外を眺めていると、北へ上るにつれて、雪の降る模様が濃密になる。自宅のある岩倉バスを降りたときはすでに雪は積もりかけていた。

 京都の町は北に上がるほどどんどん気温が下がり、市内中心部と岩倉とでは、3度くらいの差があるといわれるけれど、ぼくにはもっと温度差があるように思える。夏は窓を開けていれば、何とかエアコンなしで過せるが、冬は「じんじん」という音が聞えるくらい冷える。

 それでも京都の雪はみやびやか。華麗に優しく降る。20代のころ彦根に3年余り住んでいた。ぼくの雪体験としては、その期間がいちばん厳しかった。井上陽水の「氷の世界」というアルバムがリリースされたころ。この歌が雪を引っぱってきたのかと思うくらい、毎日雪が降りしきった。雪が小休止しても、雪が凍って町全体が冷凍庫になる。自転車はいうにおよばず、歩いていても滑る。

 めげそうになっているぼくに、会社の上司は今年は「雪が多いんや」と気慰めをいってくれたが、次の年も、その次の年も同じだった。あの人、今どうしてるかな? こんなに寒い所にどういうわけがあって人が住むようになったのかと思ったものだ。

 昨夜は、「真綿のやうに」降る雪を眺めながら思い出したことがある。中学校の一年生のときの担任の先生が、島根の出身だった。その先生は、「山陰では屋根に降る音が家の中に聞こえる」といっていた。

<私の上に降る雪は いとしめやかになりました……>

2011年12月21日水曜日

冬至2011


白川のあおさぎ
明日は冬至。ぼくは朝・昼型人間なので、これからは日が長くなっていくのかと思うと、ホッとする。

遅かった紅葉も、夜明の街の灯がポツリポツリと消えていくように見えなくなって、山の玉水木の朱色が目立つようになってきた。

朝6時ごろジョギングに出る。夏至の頃なら日が登る頃、走るのには暑くなりすぎる時間だけれど、冬至の今頃は、東の山の稜線の上あたりが薄っすら白みはじめる時間。この時間から一時間くらいかけて夜が明けてくる。晴れた日なら、とてつもなく空の美しい時間帯だ。黒い空に紺色のグラデーションが乗ってきて、見る見るうちに銀鼠色に変っていく。黒い山の稜線や、森や自社の輪郭が切り絵のようにうかんでくる。朝焼けの見られる朝はもっとすばらしい。この銀鼠色にさらにピンクのグラデーションが乗って来る。

夜明少し前から、からすの鳴き声が聞こえる。しばらくすると鷺が水辺へ向かって朝食に出かけるのが見える。どんないい食堂があるのだか?

今日もまだ薄暗い水辺に一羽蒼鷺(あおさぎ)がいて、近づいても動かない。じーっとこちらの様子をうかがっている気配がある。けれどこちらが妙な動きをしないかぎりその場をはなれない。縄張りを守っているかように。

からすも人馴れして近づいても逃げないやつが多くなった。里に住む小鷺(こさぎ)や蒼鷺(あおさぎ)の中にも、ヒトが近づいても逃げないやつが多くなった。

それが、なんと、餌付けをされている鷺がいる。浄土寺の白川沿いにある、小さな喫茶店主のおばさんのところに餌をもらいにくる蒼鷺がいる。一日中その喫茶店の付近に居るようだ。おばさんの姿が見えると、どこからとも知れず飛んできて、その蒼鷺は声をかける。電柱の上から、もしくは白川の中州にある岩の上から。なにか童話の世界だ。

ぼくも一日中見張っているわけでだけれど、先日偶然にも、おばさんが近所のスーパーに買い物に出かけていくのを、電柱を渡りながらついて行くという場面に出くわした。おばさんもその蒼鷺が可愛いらしく、店の前の川べりに立っては様子を見ている。そのあおさぎもどこからか飛んでくる。よほど目がいいらしい。

そんな当時目前の今朝は鼠銀色の夜明け、東の空に26日の月が浮かんでいた。26日の月は何というのだろうか? ぴったりとした大和言葉はあるのだろうか? そんなことを思って、夜明の月を眺めていたら、月に向って流星が飛んだ!

そこで一句

<夜明け前 流星食ふたか 凍る月>

2011年5月6日金曜日

正親町=おおぎまち、あるいは おおぎちょう

『IT』という言葉とは全く無縁のライフスタイルを続けていたH氏が、この春、突然携帯電話とパソコンを購入! 最近頻繁にメールが来るようになった 。けっこう嵌(はま)ってしまっているのかもしれない。

そのH氏からのメール
「正親町天皇をなぜおおぎまちと読むのか検索してみましたが、正解は得られませんでした。」

そこでぼくの返信

「正親町についていろいろ調べてみましたが、もう少しで痒いところに手が届きそうで届かないというところです。

図書館にある【角川日本地名大辞典26】の「おおぎちょう=正親町」の項目では「江戸期~現在の町名。新町通一条下ルの町。町名は当地が左京正親司(おおきみのつかさ)のあった場所にあたることによる。」という説明がなされています。

今は確かに学校や幼稚園は「正親」を「せいしん」と呼んでいますが、この辞典の説明では、町名「正親町」=「おおぎちょう」という項目があり、現在も「正親町」を「おおぎちょう」と読んで使われているようです。住人・あるいはその近くの住人に尋ねてみればわかるとは思いますが。

ところで、正親司というのは、小学館【日本国語大辞典】の説明では「令制での官司のひとつ。宮内省に属して天皇の二世以下四世以上の親族の名籍と、その季録、時服のことをつかさどる。おおきんだちのつかさ」と。


これではちょっとわたしの頭脳にはスッと入って来にくい説明なので、インターネット上の【ウィキペディア】で調べてみましたら、
「日本古代の律令制において宮内省に属する機関の一つである。『おおきんだちのつかさ』とも。
職掌: 正親司は皇籍を管理し皇族への給与(季禄・時服)に関する事務を執り行う。令制以前にはこのような機関は無く、唐の律令制における宗正寺(そうせいじ)を模倣したと考えられる。皇族の名簿を管理するため、長官の正には奈良時代には王が任命されることが多く、平安時代以後は代々白川家(花山源氏)が任じられた。司であるにもかかわらず他の司のように統廃合されることがなく、逆に別当が正の上に置かれた。別当は貴族がつとめその機関を総裁する職で寮に置かれることが多く、司では他に内膳司にしか置かれていない。このことから、この機関は時代が下っても重要な存在であったことがうかがい知れる。」と。

ちょうど、その【日本国語大辞典】の次の項目に「おおきみつのくらい=正三位」という言葉が続いていて、古い時代(いつごろまでかはわからないですが)「正」を「おお」とか「おおき」とか読む習しがあったのではと推察しています。 

平安期から室町期ごろは今の中立売通を「正親町小路」といっていたようです。
やはり角川の前掲の辞典の「おおぎまちこうじ=正親町小路」項での説明の一部に「平安期に見
える通り名。平安京の北部を東西に走る。一条通の南に位置する。道幅4丈。正親町小路の名は「権記」長保3年1月8日の条に見えるのを文献上の早い例とするが、「帥記」永暦4年8月17日の条には『一条南小路』見え、正親町小路の名も平安期までは一定しなかったようである。」

室町期以後、官衙町設定されたり、商家が立ち並び、江戸期頃から中立売通に名前が変ったようです。

平凡社【日本歴史地名体系26・京都市の地名】のおおぎまち=正親町の項目の中にはこんなのもあります。
寛永14年(1637)洛中絵図  正親町
寛永18年以前    平安城町並図  わふき町
承応2年(1653) 新改洛陽並洛外図  扇丁
元禄4年(1691) 京大絵図   正親町

因みに、江戸時代に「正親町町子」という名の女性がいたそうです。柳沢吉保の側室とかいうことで文筆家だということです。

2011年5月1日日曜日

花だより から 薫風

 桜の季節が過ぎて、新緑が鮮やかで、自然はいつも通り、少しこのところ天候が怪しいですが。
わたしは主にバス、時々は電車で移動してゐますが、今年も京都市内は他府県ナンバーの車でいっぱい。(やはり国内の人は自家用車を使うんですね。それでも、例年より少ない感じです。)
バスが渋滞で遅れるので、わーっこれは乗客でいっぱいかなと思って待っていると、ずいぶん空いてゐる。ギュウギュウ詰めどころかゆっくり座れるのです。

そういえば桜の季節の少し前から、バスに乗っているアジアからの観光客が少なくなった。少なくなったどころか無いに近い。それまでは、バスの中で話している会話を小耳に聞いて、「あ、これは中国から来た人たちやな、韓国から来た人やな」というのがわかる乗客が必ず居た。

こんな状況を風評被害という便利な言葉で繕っているけれど、原発に関していえば、行政(保安院や委員会)や為政者の不手際 無作為(彼らは隠蔽している)に対する批判ああるいは抗議では・・・

わたしは団塊の世代で「戦争を知らない爺」で、平和な時期を人生を送ってきて本当にありがたいと思っていたのですが、国や役所や会社の「操縦を任されて」いる人たちの中心はほぼその世代で、その動きはを見ていると、ずいぶん情けない思いをしています。

それやったら、おまえ何かできるのかといわれたら、それはそれは口を噤むしかできないのですが。

2010年7月17日土曜日

白い雨と雷

「白い雨」。梅雨末期の雨をそういう表現をした人がいるらしい。「白い雨」ということばにあれこれ思いを巡らせているうちに、朝日新聞の「天声人語」先を越されてしまった。
http://www.asahi.com/paper/column20100715.html
それでもメゲないで!!

ほんとにこの梅雨末期の豪雨は雨筋も白いし、地面や建物にあたった雨粒が、飛沫となって、白いベールに包まれたような風景になる。100m先も見えない。ドシャ降り まさにバケツをひっくり返したような雨。雨音でラジオの音も聞こえないほど。幸いなことに、この借家の大矢さんが瓦屋なので、雨漏りの心配はない。(そのわりには床はブカブカだけれど)。各地で水の被害が出る。我が家の裏の岩倉川は、大丈夫だろうか?このあたりがいちばん堤防が低いところなのだ。

稲光! 京都の雷さんには名前が付いている。「丹波太郎」、北あるいは西からやって来る雷。「山城次郎」、南から来る。「比叡三郎(近江三郎)」。比叡山、大文字山、東山を越えて来る。今週の雷さんは、三郎さんのようだ。お兄ちゃんほど強いらしいが・・・・
夕立3日。うちのばあちゃんがいっていた。「雷が鳴ったし、もう梅雨明けや」。科学的な根拠はなく、経験則。それでももう梅雨が明けるという期待感がひろがる。

近年、気象予報では「梅雨明け」ということばをいわなくなった。「予想」も「宣言」もない。せいぜい「梅雨が明けたとみられる」とあとになって、こっそりというニュアンスでいうのみだ。はずれて痛いめをした「経験則」?

雷は建建造物や、背の高い木などの45度以内に居ると安全であるというはなしを聞いたことがある。だけど大木の傍は禁物。もしその木に落雷があると、巻き添えをくう。

安全いえば中学の頃、若い理科の先生がいっていた。台風の風のはなしである。台風の風向きは一定しいるから、風向きの反対側の窓を開けて眺めていても大丈夫であると。でもそれはしっかりした風邪の抜けない家の話だろう。我が家のようなあばら家では(大家さんが怒るかな?)とても大丈夫とはいえない。ましてや風の向きだって急変するかもしれない。台風の風向きだけでなく、世の中の風向きだって、ろくに読めていない。

2010年7月3日土曜日

八重甘茶さん

ずいぶん前から紫陽花の鉢が自宅にほしかった。それがやっと手に入った。

先週末(6月最後の週末)大阪の友人たちと総勢5人で、京丹後峰山の「天女の里」というキャンプ場でキャンプをした。キャンプといってもテントをはってするのではなく(実はテントで寝るのには、いささかトラウマがある)コテージを借りて自炊をするのだ。最近のキャンプ場のコテージは設備が良くて、エアコン、冷蔵庫、シャワー、風呂・・・今回はテレビまで備えられていた。(キャンプに来てまでテレビを見ようとは思わないが・・)

地元のスーパーや道の駅で買い物をして、できるだけ地元の食材を仕込む。そして自分たちで調理して食べる。これが安上がりで美味しいものが食べられる極意と知る。(大層かな?)

話を紫陽花に戻そう。そのキャンプの帰り道、京都丹波の道に駅で、山紫陽花の苗を見つけた。淡いブルーの好みのタイプだ! しかも値段が安い、¥250! 八重甘茶という品種だそうだ。 ふつう山紫陽花というとけっこういい値段で売られている。 苗だけでも¥600~¥1000。ちょっといい鉢に入っていると、¥1300から¥3000近くのものまである。もちろん品種によって貴重なものとかがあって、そういう品種のものは高いのだろうけれど、どちらかといえば、いやもともとぼくは植物を育てるのが下手なので、育てているあいだに枯らせてしまう確率だって相当高い。八重甘茶には申しわけないことだが、¥250というのは、ぼくとしては分相応というか、手を出しやすいのだ。迷わず買った。

ネットで育て方をいろいろ調べてみると、どうも花の衰える直前に花摘みをして、枝を剪定し、お礼の肥料をやるというのが「正道」らしい。いやその前に小さい窮屈そうなビニールの鉢に入っているのを、大きな鉢に移してやらねばならない。ここで実は迷った。せっかくきれいな花をつけているのに植え替えをして、枯らしてしまっては元も子もない。植物育ての下手なぼくには、そういうリスクが非常に高いのだ。それで花が衰えるまで、その小さな鉢のままで、花を楽しむことにした。これまた八重甘茶には申しわけないことだけれど、きっと八重甘茶さんは「やれやれ、えらいおっさんに買われたもんや」と思っているに違いない。

そんなことで、なんとか一週間花を愛でさせてもらった。八重甘茶さんありがとうね。ということで、やっと思い定め、今朝花摘み、植え替え、剪定をした。肥料もやった。おまけに剪定で伐った枝を別の鉢に五本ほど挿し木をした。すべてネットの教科書どおりに!(写真は花を摘まれる直前の八重甘茶さんです)

ところが、作業を終えたところで不吉なことを思い出した。ずいぶん前、まだ下京に住んでいたころのことだ。近所のおばさんが「手を嫌う」ということばがあるって。植物育成用語(俗信・俗語)にそういうのがあるらしい。どうもぼくの手は「嫌われている」のではないかと、思いあたるふしがある。何度か紫陽花の枝をパクってきて挿し木を試みたことがあるが、ことごとく失敗している。

とほほ、やれやれ。どういう結果になることかと、不安をかかえつつ、ふたつの紫陽花鉢を眺めている。